Wikipedia:コメント依頼/アナキズム研究会

利用者:アナキズム研究会会話 / 投稿記録 / 記録さんのコメント依頼を提出します。

アナキズム研究会さん(以後被依頼者)は今年にはいってから多くの議論に参加されていますが、その姿勢が共同作業に向いていないのか、腕づくおよびいつまでも納得しないに該当しコミュニティを疲弊させていないか、Wikipedia:善意にとるWikipedia:個人攻撃はしないWikipedia:新規参加者を苛めないでくださいといった視点が欠けており、Wikipedia:安易に荒らしと呼ばない(私論)に反しているのではないかという疑いがあります。

経緯[編集]

議論の例[編集]

この件はNasqnさんのみが異なる主張をされており、2018年11月21日のXyyさんのコメントから反論もなく停止していたところを、2か月以上たってから被依頼者が突如反対を表明されています。それはShikai shawさんがおっしゃっているように、1週間反論がないから合意だと被依頼者が主張するのであれば、そもそも2か月反対がなく1か月前に告知テンプレートも除去されていたことから、むしろそちらを実質的合意とみなすほうが合理的なのは言うまでもないでしょう。Shikai shawさんのコメントどおり、被依頼者はそういった手続きはきちんと踏まれていませんでした。
  • ノート:同志社大学#この不祥事に特筆性は存在しているのか? - 海ボチャンさんの不祥事記述を除去すべきという提案にたいし、LTAを除いて賛成意見のみが集まる結果となり、1か月半後に合意形成宣言がなされました。しかし被依頼者は「特筆性」というのは言葉の綾を理由に揚げ足取りをのような主張をされ、Wikipedia:コメント依頼で依頼の告知を剥がすことを怠っていたことを理由に、「まだ議論中であり合意は形成されていない」と合意を否定して議論の引き延ばしにはいられました。ノート:同志社大学#記述提案でも私が指摘したとおり、この議論はきちんと手順を踏んで時間をかけて合意にいたったものであり、それを「特筆性は独立記事作成の目安の際にのみ使っていい言葉だから」「コメント依頼のページで告知を除去し忘れたから」などといった、個人的に気に入らないからと揚げ足をとるような姿勢は不適切でしょう。上の天皇のノートと同じく、合意形成にいたるまでの流れや議論を被依頼者は軽視しすぎです。しかしその一方で、被依頼者はWikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族#天皇等の個人記事の記事名についてではこのコメントで十分時間をかけたと主張しておられ、ダブルスタンダードがみられます。
  • ノート:天皇#系図についてでも、同じように一人納得せず議論を長引かせ、コミュニティを疲弊させています。ノート:明仁での議論は被依頼者がかならずしも間違っているとは思いませんが、それをふくめて南京事件や7payの削除依頼で対立されている新幹線さんとのやりとりや下記にしるす議論を見ていると、とにかくご自分から引く事はほぼなく、相手や周囲が疲弊したのちに合意宣言をされる、そういったケースが目立つように感じられました。

削除依頼における発言[編集]

なお上記の件にかんして、被依頼者はWikipedia:井戸端/subj/「削除依頼は方針について議論する場ではありません。(中略)そういったものがあるときには進んで転記の作業を願います。」についてに議論を持ち込んでおられます。

他、削除依頼に関しては割と多い頻度で参加されているようで、

などがありますが、特に著作権侵害については独特の価値観をお持ちであることがうかがえ、またこだわりがあるのか現在はWikipedia:削除依頼/飛鳥未来高等学校 20190709Wikipedia:削除依頼/門川大作の審議に参加されています。

最新の議論[編集]

井戸端の議論にあるよう、IPユーザーが字下げ目的のマークアップを付与されました。それに対して被依頼者はIPの会話ページにTemplate:発言改竄を貼り付けられました。しかしそれにはやりすぎではないかとの異論がでており、だいじょうぶだぁさんが井戸端に相談をされました。軽微なインデントの修正を以て「改竄だ」「荒らしだ」「ブロックだ」と主張するのは適切ではないとのご意見がよせられ、少なくともこの件にかんしては貼り付けは過剰であるとの意見集約がえられました。しかし被依頼者は本日になってそれに納得しない姿勢を鮮明にされ、方針文章を合意なく加筆された(井戸端では、内容自体はおかしくはないが合意が必要と指摘されています)だいじょうぶだぁさんの会話ページに『改ざん』『荒らし以外の何者でもない』と主張されました。IPの会話ページでも、テンプレートの貼り付けは正当であったという姿勢を崩されず、依頼者にたいしても利用者‐会話:60.83.84.213では、具体的な反論よりも論点を逸らすように「井戸端の意見を持ち出すのは遡及適用だ」というよく分からない主張をされています。

依頼者コメント[編集]

例が多くなってしまい大変かとは思いますが、冒頭で述べたとおり、善意に取るといった観点が欠けているのではないか、またいつまでも納得しない姿勢でコミュニティを疲弊させているのではないか、同志社大学や代書 (法律用語)の削除依頼のように、議論の過程が気に入らないからといってそれを理由に提案自体に反対するのは目的と手段が入れ替わっているのではないかなど、引く事を良しとしない議論姿勢や方針理解全般に関して、被依頼者が共同作業に向いているかどうかご意見をうかがいたく思います。--Aiwokusai会話2019年7月22日 (月) 13:07 (UTC)[返信]

  • コメント Wikipedia:井戸端/subj/インデントの修正だけでも発言の改竄に当たるのか?に被依頼者からあらたなコメントがありましたが、『善意にとったので』"他の方の発言を無断で編集しておられましたが、そのような編集はウィキペディアでは他人の発言の勝手な除去・改ざんと見なされることがあり、ウィキペディアでの荒らし行為と認識され、重大問題とされています。"との内容が記載されたテンプレートを利用者‐会話:60.83.84.213に張り付けたとおっしゃっていますが、改ざんや荒らしと書かれたようなテンプレートでなく、ご自分の言葉で指摘すべきであったと思います。そもそもこの件にかんしては、ご自分の発言がマークアップされたのを修正されたことにご立腹されているのであって、それならば「余計なお世話なので今後は私に関しては触らないでください」という内容を、穏当なニュアンスで言えばよいだけのことでしょう。この件で同じくマークアップされたShizuhaさんは改ざんだとは主張されていませんし、改ざんの可能性をことさら主張されているのは被依頼者のみです。利用者‐会話:だいじょうぶだぁにしても、ご本人は否定されるかもしれませんが誤認を含んだ内容であり、勘違いはだれしもあることですのでそこは責めませんが、そもそも『方針を自分の都合のよいように改ざんすることは荒らし以外の何物でもないと思います。』と、このような強い態度で臨まれる必要があったのでしょうか。--Aiwokusai会話2019年7月22日 (月) 17:10 (UTC)[返信]
    • コメント インデントにかんしてはコメントをくださったお2方とほぼ同じ意見で、もう少し他にやりようがあったと思っています。質問者さんのだいじょうぶだぁさんが議論なしに方針を弄ったことを問題なしとした意見は井戸端にもありませんでしたが、しかし荒らしと即断すべきという意見もありませんでした。何してももうすこしニュアンスをかんがえて行動していただかなければ、同様の軋轢を今後も生むのではないかと心配しています。私が被依頼者のことを知ったのは同志社大学のノートですが、他の議論にかんしてもコメントを待ちたいと思います。--Aiwokusai会話2019年7月22日 (月) 18:33 (UTC)[返信]
文章を推敲することによって、相手にどう対応すべきかなど、脊髄反射にテンプレートを貼り付けるよりも少し時間にゆとりが生まれるはずです。明確な荒らしや完全に文章が該当する場合のテンプレート使用であれば異論ありませんが、そうと言い切れない場合の使用は本来慎重になるべきはずです。--Aiwokusai会話) 2019年7月23日 (火) 02:26 (UTC)--Aiwokusai会話2019年7月23日 (火) 02:34 (UTC)[返信]
  • 返信  返信のコメントと被返信コメントが逆になっているように見えたので、私自身の発言を移動させ、時系列およびコメント間の関係性(返信-被返信の関係)が正しくなるようにしたつもりでしたが、ご不快に感じられたのであればお詫びします。申し訳ありません。ただ、Wikipedia:ノートページのガイドライン#他人のコメントでは「他の参加者との相談により合意が得られた場合」の他にも議論がしやすくなるような「発言の分割」も認められています(「事前の話合い」と言ったのはこのWikipedia:ノートページのガイドライン#他人のコメントの「他の参加者との相談により合意が得られた場合」を指しているものであり、私の主張ではありません。)し、今回移動させたのはあくまで私のコメントです(もちろん、私のコメントを移動させた結果として他の方のコメントの位置も相対的に変わってしまうのですが) 。「ダブルスタンダード」や「他人には厳しく自分にはとことん甘い」と言うのは当たらないと考えます。ただ、ご不快に感じられたのであればお詫びします。今後は返信は被返信コメントの後に記載する、ノートページでのコメントは原則ページ最下部に追記するなどの基本的な慣習をお守りいただけませんでしょうか。新たに読まれる方が議論の流れを追うことを考慮いただけますよう、よろしくお願いいたします。以上、要用のみにて失礼を致します。--アナキズム研究会会話2019年7月23日 (火) 18:51 (UTC)[返信]

そういうのは被依頼者コメントのほうに書いてほしいものですが。それはそうと、方針やガイドラインの一文一文を縦にしている方がご自身の中の慣習を主張されるのは違和感を覚えます。必ずしも時系列順に下に下にというわけでなく、自身のコメントなどにぶらさがりで追加コメントをおこなうことだって普通にあるでしょうに(同じノート内でも議論が枝分かれすることもあります)。今回のは発言の分割ではありませんし、ましてやそこにすら元の発言者の同意が得られない場合は分割しないでください。とあります。不快感とかでなくそれ以前に、マークアップだけで警告をおこなう方がこのようなことを軽々しくおこなうことのおかしさについて問うています。実際、割り込まれたことで私のコメント位置が変わっているではありませんか。特定の第三者でなく依頼者に固定されたコメントであれば次からはできれば被依頼者の位置をご使用ください。--Aiwokusai会話) 2019年7月23日 (火) 19:01 (UTC)--Aiwokusai会話2019年7月23日 (火) 19:03 (UTC)[返信]

被依頼者コメント[編集]

第三者からの皆様からのコメントについて、しっかりと拝読しております。都度反論してしまうと他のまだコメントをしていない方がコメントしづらくなってしまうと思い、現時点では沈黙しております。いずれにしても、編集態度・議論態度についてご指摘のあった点については、今後に改善に努める所存です。このほか、現時点でコメントを頂いていない方も含め、広く第三者からのコメントを期待しております。どうぞ、よろしくお願いいたします。--アナキズム研究会会話2019年7月26日 (金) 07:44 (UTC)[返信]

コメント[編集]

被依頼者は各種議論で方針文書を引用したり、著作権関係の削除依頼では法文や判例を引用して自身の主張に客観性を持たせるような議論姿勢を取ることが多いですが、中にはWikipedia:削除依頼/ノート:南京事件 (1937年) で見られるように依頼のケースと類似しているとは言えない判例(江差追分事件の判例は当ノートのような「議論の中での引用」とは全く異なるケース)を持ち出して自説の正当性を主張するなど、法文や判例、あるいは方針文書を自説に沿うように恣意的に引用しているとみられるケースがあります。

また、被依頼者は「方針文書等にこう書かれている」という事実と「方針文書等が実際にどのように運用されているか」という事実を混同されているか、あるいは意図的に混同させて議論に臨んでいると見られます。これは先の削除依頼にも当てはまりますが、ノート:明仁#5/1改名提案の瑕疵についてにおいて「プロジェクトに強制力がない」という点を過大に強調する主張を行ったり、Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族#天皇等の個人記事の記事名についてWP:RS#情報源で明記されている二次資料(特に「学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料」)に強く固執したりするところにも見られます。記事名を決めるときに、紙の百科事典はWP:CRITERIAの基準を満たすことを検討する資料として使えないほど著しく信頼性が劣っているのでしょうか。学術分野で用いられている表記が必ずしもWP:CRITERIAを満たすと言えるでしょうか。被依頼者のように二次資料を重視しその他の資料を軽視する編集姿勢を取った利用者の例として、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Tasetebillsがあります。また、「明仁」については文献で根拠が示されていますが、「美智子」などについては何も根拠が示されていません(よく見たら被依頼者が示した文献の最後の方に「現天皇明仁や皇后美智子」という記載がありますね)。最終的には「Wikipedia:合意形成#合意形成の定める期間の2倍という安全値を取っている」として合意形成を宣言されていますが、安全値などという概念はありませんし、議論不足という指摘が複数出ている時点で「安全」とは言えないでしょう。『「例外である」と主張する側が例外であることを説明・説示するべきもの』とも仰っていますが、合意に複数の疑義が生じている時点で「例外」に該当します。

ウィキペディアは厳格な法治国家ではありませんので方針文書の字面よりも方針文書がコミュニティにどのように認識・運用されているかの方が大事ですが、それは方針文書に全て明文化されているとは限りませんし、実際に周囲の利用者と触れ合う中で感覚的に理解していくべきものです(現実社会でも、集団内で共有されているが明文化されていない「不文律」が存在することはしばしばあるのではないでしょうか)。被依頼者にはそのような観点が決定的に欠落しているのではないでしょうか。

最新の議論に関しては、確かにIP氏にテンプレートを使用して警告するのはやりすぎだと思いますが、インデントの段数を変えると投稿の意味合いが変わる可能性があるのも事実で、被依頼者の主張にも一定程度うなずける部分があります。だいじょうぶだぁさんの一連の投稿(利用者‐会話:60.83.84.213でのレス「Wikipedia:荒らし」の改変井戸端での発議)を見る限り、自説を推進するために方針文書を変更したと見られても仕方なく、ちょっと善意に取るのは難しいのではないかなと思います。しかし利用者‐会話:60.83.84.213における『(「荒らし行為」とするテンプレート使用はやりすぎという意見が)「大勢を占めている」ようには見えません』という発言や、遡及適用云々は理解に苦しみます。

まとめると、被依頼者の発言には妥当な部分もあるものの、「方針文書等にこう書かれている」という事実と「方針文書等が実際にどのように運用されているか」という事実を混同して多くの問題を引き起こしていると考えられます。もちろん攻撃的な議論姿勢も問題です。被依頼者はCategory:利用者の行動のルール云々というよりは、共同作業に必要なもっと根本的な部分が不足しているように思えます。--新幹線会話2019年7月22日 (月) 17:50 (UTC)[返信]

コメント インデント修正について。インデント修正は確かに荒らしと即断するには慎重になるべきものですが、アナキズム研究会さんは荒らしと即断してはおらず、あくまで「見なされる虞があるので今後は控えてくれ」と要請したにすぎません。私見ではインデント修正について荒らしと看做すことには反対だし、注意するにしてももっとよい方法があったのではないかと思えますが、その行為を以てして直ちに「他者を荒らしと決めつける悪質な行動」と呼べるかどうかといえば、そうではないと感じます。アナキズム研究会さんの説明があったようですが、特にそこに付け加えるべきこともありません。--Rasalghul会話2019年7月22日 (月) 18:00 (UTC)[返信]

  • 返信 (Rasalghulさん宛) インデントの補遺を同様に事前の話し合い無く行うのは不適切な行為でありテンプレートの貼り付けは正当であるとと主張してはばからない被依頼者によって、私のコメントが可読性を理由に無断で移動されました(どこからどうみても移動されたのは私のコメントです)。これはどう解釈すればよいでしょうか。無断であるかどうかというよりも、他者が自分の発言を少しでも弄った場合は警告をおこなう被依頼者が、平然とこのような行為をすることに驚きを隠せません。--Aiwokusai会話2019年7月23日 (火) 18:30 (UTC)[返信]
    • コメント どこからどうみても、とおっしゃいますが、Aiwokusaiさんの投稿に手が加わった部分は:や*ひとつでもあるようには見えませんが。--Rasalghul会話2019年7月23日 (火) 18:40 (UTC)[返信]
      • インデント修正でなく「コメント位置の移動」の話をしております。手が加わっていないとされるのであればIP氏も無いに等しいでしょう。--Aiwokusai会話2019年7月23日 (火) 18:42 (UTC)[返信]
        • コメント あなたの前にいた人が後ろに移動したからといって、あなたの体を押したり引いたりしていないのであれば、それは「移動させられた」ということにはならないのと違いますか。--Rasalghul会話2019年7月23日 (火) 18:45 (UTC)[返信]
        • コメント いえ、私は自身の第三者に向けたコメントにインデントを使用して、ぶらさがりで投稿をおこなっていたのです。ご確認ください。それを可読性を勝手に許可なく位置を変えるというのは不快感などを理由に改ざんだと糾弾していた被依頼者の主張が通らないのではないですか?と申し上げております。Rasalghuさんのご意見が必ずしも私と同じとは思いませんが、他者ならまだしも少なくともそういった変更を少しでも良しとしなかった被依頼者がおこなうことへの矛盾についておたずねしています。--Aiwokusai会話2019年7月23日 (火) 18:55 (UTC)[返信]
            • コメント そもそも私が「文意が変わっていない編集まで荒らしと見なすべきではない」という立場なのは、「私見ではインデント修正について荒らしと看做すことには反対だ」と最初に書いた通りです。これはどう解釈すればよいのか、とお尋ねでしたので、別にええんちゃうの、と私の解釈をお答えしたのですが、何かご不満でしょうか。言行が一致している、していないというのは、どこからが「文意の変わる編集」なのか次第ですから、Aiwokusaiさんがそうお考えになるのはいいのですが、私としては、インデントの修正だろうがコメント位置の修正だろうが、それだけでは気にしないです。--Rasalghul会話2019年7月23日 (火) 19:07 (UTC)[返信]
              • コメント 修正に関しては大きな問題なしとするご意見は、ほぼほぼ私と一致しているように思えます。確認ができましたのでありがとうございます。同時に失礼いたしました。--Aiwokusai会話2019年7月23日 (火) 19:14 (UTC)[返信]

コメント 通知が届いたので何のことかと思ったんですけれど…ちと依頼者及び議論に参加されている方々に確認。依頼者コメントに「そもそもこの件にかんしては、ご自分の発言がマークアップされたのを修正されたことにご立腹されている」とあります。私、被依頼者のコメントを、私がコメントを行うついでに体裁を整えはしましたが、そのことについて被依頼者からは何も言われていないはず。もし何か指摘されているのであれば、そのリンク先の提示をお願いします。--静葉会話2019年7月23日 (火) 01:20 (UTC)[返信]

  • 返信 (shizuhaさん宛) Wikipedia:削除依頼/沼津市立沼津高等学校・中等部でshizuhaさんはこの編集のみをおこなわれているのみであって、被依頼者のコメントをコメントを行うついでに体裁を整えたというのは見当たりません。今回の修正というのはIPの行動であって、そこでは被依頼者だけでなくshizuhaさんの体裁も整えられています。もしやどこか別件のことを言っておられるのでしょうか。『被依頼者のコメントの体裁を整えたが何も言われていない』のとのことですが、参考にしたいのでできればそのことについて具体的に提示していただければありがたいとおもいます。--Aiwokusai会話2019年7月23日 (火) 01:45 (UTC)[返信]
    • コメント なるほど、該当の編集を私が行ったものだと勘違いしておりました。失礼しました。ここ最近の編集のみ確認しましたが、少なくともその範囲では私はこれまで被依頼者のコメントの体裁を修正したこともないようです。なお本件について私からはこれ以上のコメントはありません。--静葉会話2019年7月23日 (火) 01:50 (UTC)[返信]

コメント 「ボランティアであること」を理由に『そもそも一から文章を推敲する手間を省き、機械的に警告するために発言改ざんのテンプレートが存在するのではないでしょうか。テンプレートを使用せず文章を一から考えた方が誠実、だったとしてもその手間・工数を私にかけろ、割けというのは少し酷だと思いますよ。』と主張された件ですが、機械的に適応できる範囲は限られていますし、ましてやインデントの変更に対して用いるテンプレートではないはずです。ただ確かに何の先入観もなくこのテンプレートの文面を読むと、被依頼者の仰るように「荒らし」と断じるような内容にはなっていませんでした。このあたりも『「方針文書等にこう書かれている」という事実と「方針文書等が実際にどのように運用されているか」という事実を混同されているか、あるいは意図的に混同させている』という被依頼者の問題点に通じると思います。--新幹線会話2019年7月23日 (火) 14:30 (UTC)[返信]

  • コメント 複数の問題が提起され、議論のほうも錯綜して分かりずらくなっているような気がします。些末な問題のように思えるWikipedia:井戸端/subj/インデントの修正だけでも発言の改竄に当たるのか?などは、其々のページで粛々と話し合えばいいのではないかと思います。私が被依頼者の最大の問題点だと認識しているのが、「腕ずく」問題です。被依頼者のページ作成を伴う編集を見ると、関心が記事の執筆ではなく、「議論」に向いている、というか特化している感じがします。個人的には、ウィキペディアでの議論は情報交換や意見交換なのだと考えておりまして、被依頼者のやっていることが本当の意味で「議論」なのかどうか疑問に思っています。過去および現在進行中の議論の進め方などを見ると、最初から被依頼者なりの結論があって、そこへ持っていくための作業でしかないのではないかと感じています。
  • まず、Wikipedia:削除依頼/ノート:南京事件 (1937年)では、IPさんのおっしゃる通り、著作物が自由に使える場合のうち「(注5)引用における注意事項」にあるように、自分の著作物と引用する著作物との主従関係が明確であること(自分の著作物が主体)ことが要件となっています。これはパロディ事件における要件の一つです。ここでいう「自分」に相当するのは利用者:Japanese sincerityさんです。冨澤繁信さんたちのものが主でJapanese sincerityさんのものが「従」 (というか「ほぼ無」)と考えるのが自然です。ところが、依頼者はパロディ事件を持ち出しながらも、IPさんに対抗するためでしょうか、「版は97,980バイトであり、そのうち引用部分は7000バイト程度にすぎません。」というノートページの総バイト数と比較するという独自の解釈をしています。長いページなどではそのうち本一冊丸ごと引用できてしまうことになってしまいますし、多いバイト数のノートページではコピペし放題になってしまいます。さすがに無理があります。この件でも新幹線さんvs被依頼者の構造があるので、私闘でもしているのかと思ってしまいましたが、被依頼者は「新幹線さんとは本ページに限らず他のページでもやり取りさせていただいていますが、ルール(方針・ガイドライン・ライセンス・法令等含む)を都合よく切り取って都合のいい文言のみ利用する行為はいい加減おやめなさい。 と批判しています。これはご自身にも当てはまることではないでしょうか?また、Wikipedia:削除依頼/ファイル:Pic2 01.jpgでも著作権法を理解していなかったようです。これでは、何のために法律や判例を提示しているのかよくわかりません。Wikipedia:善意にとるがあるので、被依頼者が法律に明るくない他の利用者を煙にまく目的で、法律や判例を提示し、そこに独自解釈を混入したとは考えたくありません。たんに法令や判例への無理解からくるものなのかもしれません。いずれにしても、(Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用の「法律家ごっこ」や法律家ごっこを参照)に相当する可能性が大です。
  • 次に、ノート:明仁#改名提案 2019年5月3日に参加していた利用者:切干大根さん、利用者:aki42006さん、利用者:Nickel 2 Trainさん、利用者:Ratexioさん、利用者:Rasalghulさん、利用者:Taisyoさん、利用者:Shuricastleさん、利用者:新幹線さん、利用者:Pinkpastelさんのうち、Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族#天皇等の個人記事の記事名についてにも参加した利用者は、利用者:Shuricastleさんと利用者:新幹線さんのお二人だけでした。ノート:明仁#改名提案 2019年5月3日で意見表明をしたので、それで終わったと思ったからなのか、Wikipedia:勧誘行為#フォーラム・ショッピングにある「最初の議論の場で自分が望む結果が得られなかった時に、同じ話題をあちこちに連続して持ち込むこと」と見なしたからなのか、単に面倒に思ったからなのか、何故参加しなかったのか伺いたいところです。私も、ルールを知らないのか知っていてわざと知らないふりをしているのかよくわからないような「腕ずく」系の利用者がいる議論に参加することで、自らが消耗したくないなぁと思ってウォッチだけしていることがしばしばあります。いずれにしても、ノート:明仁#改名提案 2019年5月3日に参加した利用者たちの意見は無視したことになるのではとの危惧を抱いていました。Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族#天皇等の個人記事の記事名についてにおいて、ことに上皇后美智子皇后雅子に関しては、「コンセンサス」があったとはとても思えません。もちろん「コンセンサス」は多数決だけで決めるものではありません。であればこそ、 賛成 反対のマーキングがなくても、それぞれの意見を尊重するべきだったと思います。しかしながら、被依頼者は、「コンセンサス」が成立した旨宣言し強引に作業にとりかかってしまいました (移動できなかったため移動依頼に出ている状態です)。かつて被依頼者はノート:特定封筒郵便物において、特別:差分/63354065「もちろん再提案することは妨げられませんが、再提案時には本提案における議論を踏まえ提案するようにお願いします。」と言って閉じています。その通りだと思います。が、被依頼者は、Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族#天皇等の個人記事の記事名についてで、Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族において過去の議論やコンセンサスを踏まえたのだろうかと疑問を抱かざるを得ません。その後、再び、 利用者:たびびと551さんと利用者:新幹線さん異論が出たのですが、方針類を弄して、拒絶する有様です。当該議論における被依頼者の姿勢はWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないWikipedia:妨害的編集#いつまでも納得しないなどに違反していると言え、共同作業に向いていないと考えざるを得ません。「〇○を熟読して下さい」という形で「警告」を与えても、依頼者の場合、既に方針類を熟読していると推測されますし、方針類を自身に都合のいい形で解釈する傾向が強いので、意味がないかもしれません。したがって、議論関連について部分ブロックなどを適用することも考慮に入れる必要があるかもしれないと考えています。--Takabeg会話) 2019年7月25日 (木) 14:45 (UTC) ※ページ改名のためパイプ付きリンクで変更 (パロディ事件パロディ・モンタージュ写真事件) --ClerkPine (on behalf of ProfessorPine) 2020年10月15日 (木) 11:24 (UTC)[返信]
    • 返信 (Takabegさん宛) 現実世界が多忙で長期化した議論を追えていなかったことに加え、過去の被依頼者との議論を考えればその後も議論の長期化や平行線となることが十分考えられたこともあり、情けないことですが参加しなかった(できなかった)次第です。--ratexio会話2019年7月25日 (木) 16:43 (UTC)[返信]
  • 報告 被依頼者が存続票を投じていたWikipedia:削除依頼/ノート:南京事件 (1937年) ですが、ぱたごんさんにより版指定削除がなされました。--新幹線会話2019年8月4日 (日) 14:14 (UTC)[返信]
    • コメント 存続票を投じること自体が何か問題行動であるかのような表現になっていませんか。これでは新幹線さんの意図までがいたずらに疑われかねませんので、アナキズム研究会さんの存続主張のどこがどうぱたごんさんまたは他の利用者によって問題とされたのかお書きになるべきかと。アナキズム研究会さんはぱたごんさんが削除理由の一つとした「引用元が明確に示されていない」点について全く触れていないので、ぱたごんさんがアナキズム研究会さんと別の点に着目して削除を判断したからといって、アナキズム研究会さんの存続意見が有害だったとかそういうことにはならないのでは。--Rasalghul会話2019年8月4日 (日) 14:53 (UTC)[返信]
      • 返信 存続票を投じる行為そのものが問題行動だと言う意図は毛頭ございません。しかし、確かにぱたごんさんは被依頼者と別の点に着目して削除を判断されていますが、同時に「全体が9万バイトで転載が7000バイトだから従であるとか考えません。」とも述べられており、被依頼者の主たる主張は否定されています。被依頼者は他者に攻撃的な姿勢を取ってまで自説の正当性を訴えておられましたから、それが否定されたというのは本コメント依頼において重要な情報の一つだと思います。--新幹線会話2019年8月6日 (火) 15:21 (UTC)[返信]
  • コメント 複数の問題が羅列提起されすぎて依頼者の主張が曖昧だし、何についてコメントを求めたいのかが理解できません--Manakou会話2019年8月6日 (火) 08:36 (UTC)[返信]
  • コメント ここまでの議論で、被依頼者に問題点が存在するという意見が複数寄せられていますが、現時点で早急にブロックすべき状態であるという合意は形成されていません。そのためしばらく様子見していましたが、最近になってWikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族#天皇等の個人記事の記事名についてが合意不十分として差し戻されたのを不服として再び議論を始めています。しかしこの期に及んでも被依頼者は手続きさえきちんと踏めば合意が形成されると認識しているようであり、問題点を正しく認識できていないようです。もしこのような姿勢で議論を継続されるならば、コミュニティを疲弊させるユーザーとして長期もしくは無期限のブロックが必要になると考えています。--新幹線会話2019年8月24日 (土) 12:48 (UTC)[返信]
  • コメント初コメントです。アナキズム研究会さんは自分の意見を押し通すために、方針や出典を都合のいいように解釈・選択するタイプの利用者です。議論コストが高く、コミュニティにとって有用な人ではないと考えます。
ここで指摘したように、まず先に自分の結論がある。それを補強するために方針を恣意的に解釈する。それだけでコミュニティを押しきれなかったら、都合の良いごく少数の出典を提示して「世間では一般的」と強弁する。こんな感じの人です。しかも提示した出典の中身をコミュニティが調べてみると、主張とは真逆のことが書かれているなど悪質すぎます。
ノート:天皇/過去ログ4#WP:Vとテンプレートについてなど、他の場所でもやっていることは同じです。まず結論がある。それを反映させるためなら、揉めようがおかまいなし。他者から批判されてても「方針ガー」「出典ガー」の一点張りで、まったく譲らない。自分の意見を押し通すために方針の一方的な解釈を盾にして議論を強行し続けるなら、ブロックする以外に道は無さそうです。むよむよ会話2019年9月2日 (月) 06:24 (UTC)[返信]
たまに意見が合わない人とやり過ぎるのはどうだろうか。--113.36.46.202 2019年10月7日 (月) 17:15 (UTC)[返信]
コメント 意見 まずみなさんの意見をまとめてはいかがでしょうか。今の状態では長すぎて読む気もしません。あと、113.36.46.202さんの意見は何の意味も持たないと思うので、有意義な(どうだから何をこう改善すればいいのではないかなど)コメントをお願いしたいです。--Tmv会話|投稿記録2019年10月20日 (日) 12:19 (UTC)[返信]