Wikipedia‐ノート:秀逸な記事/過去ログ2

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過去のログ[編集]

秀逸な記事からの除外[編集]

過去に「秀逸な記事」として選考を経ているが、内容的に問題があり「秀逸な記事」にしておくことに疑問がある場合にはどのような手続きをとるべきでしょうか?

過去に選考を経てしてしまえば、その後の編集により記事が悲惨な状況になったとしても、永久に「秀逸な記事」のままであるというのは妥当ではないでしょう。また、選考を通過してしまった記事ではあるが内容的に誤りや誤解があるなど、「秀逸な記事」にふさわしくない記事であると判断される場合には、再考の必要が認められることもあるでしょう。

そのような場合の、「秀逸な記事から除外するための手続き」を策定する必要があるのではないかと考えます。

具体的な誤りと相当な根拠を示して逆選考するような形になるかと思いますが。。。Falcosapiens 2004年8月27日 (金) 17:54 (UTC)

秀逸指定された記事の見直し手続きの策定に賛成します。ただ、その後の編集による記事の悪化は、あるいは revert などで戻すことも可能かと思います。手続きですが、Wikipedia:秀逸な記事の選考に準じたものでよいように思います(選考のページには見直しのことがありますが、具体的な手続きはありません)。相応の期間、見直しの対象として逆選考し、扱いを決めるのがよいかと思います。問題は、選考の期間中の記事の取り扱いと、どのような場合に秀逸から外すかの基準でしょうか。問題のある記事でも、編集によって改善できたものはそのままでもいいような気がします。一方で編集によって改善されたとしても、それは「ふつうによい記事」ではあっても秀逸の名には値しない可能性があるので、もう一度選考対象にしたほうがいいのかとも。
見直しの対象となる記事ですが、内容の面もさることながら、後で著作権侵害やその可能性のある記事など、形式的な面で問題のある記事と判断されたものも含めたほうがよいように思います。--Aphaea 2004年8月27日 (金) 20:39 (UTC)

内容の誤りや編集の劣化については、編集で対抗することは一応の前提にしています。ただ、ご指摘の『一方で編集によって改善されたとしても、それは「ふつうによい記事」ではあっても秀逸の名には値しない可能性』を想定していました。具体的には誤っている部分を削除した結果、記事の量が大幅に減少した場合や、誤っている部分を訂正し正確性を追求した結果として記事があまりに難解になった場合などを考えていました。
形式面の話は完全に忘れていました。特定の記事(「知的障害」)の内容を加筆修正していたら思いついたためです。もっと、思考を自由にしなければと反省。Falcosapiens 2004年8月28日 (土) 00:54 (UTC)

こんにちは。除外の具体的な手続きについて、ここで策定することに賛成です。まず著作権侵害があきらか、または濃厚の場合はまず削除依頼に出され、そこでの判断を待つことになると思います。で、その間は一時的にリストからコメントアウトしておくなどの対応をすることになるでしょうか。
記事の質や信頼性などについて問題がある場合ですが、方向性としては「外すか否かを問う」「秀逸にふさわしいように改善する」という2つがあるように思います。個人的には、簡便さから「再考」では前者のみについて行うので良いかと思いました。英語版は以前は再考過程があったのですが、今は peer review にまわすようになっているみたいでした(日本語版でも peer review を開設したいのですが手が回っていません)。
具体的には 1) とりあえず外してしまって通常の選考過程のようにする 2) 外すか否かを問う、という二通りの方法を考え付きましたがどちらが良いでしょうか。もしくは他に案がありましたらお願いします。1 の方が楽なのですが、いたずらで外されると困るかもしれません。
自分でもあまり考えがまとまっていませんが、叩き台として書き連ねてみました。ご意見よろしくおねがいします。電気山羊 2004年8月28日 (土) 03:51 (UTC)
運営の簡便さと悪戯防止をあわせて考えると
  • 再考欄を設けてそこに記載する。
  • 再考プロセスに入って一定数の賛成があれば、秀逸から外す。
  • 再考プロセスは一定期間とする(これは秀逸な記事の選考より短くてよいように思います)。
というのはどうでしょうか。
あるいは再考プロセスを二段階にわけ、まずプロセスに載せるかどうか1週間ほど投票をして、賛成が得られたものはいったん秀逸を外し、1ヶ月から2ヶ月ほどの審議後、問題がないと判断されれば改めて秀逸の欄へ戻し、そうでないならばそのまま秀逸から外したままでおく、ということも出来るかと思います。あまり容易に外されるのも困りますが、秀逸に値しないものが秀逸のままで長くおいておかれることになるのも問題であるように思います。審議の場所は、Wikipedia文書を新たに設けるのと、現在の「選考」と同じページ(またはそのノート)でやるのとどちらがよいでしょうか。--Aphaea 2004年8月30日 (月) 18:33 (UTC)
ページは「選考」とは別にした方が混乱しなくて良いかなと思います。このノートでやっても良いのですが、作るとすれば例えば「Wikipedia:秀逸な記事の再考」とかでしょうか(名前が紛らわしいかも?)。まだ具体的な考えがまとまっていないのですが、外すか否かを問うのが普通でしょうね。。「〜〜だから秀逸な記事として相応しくない」と理由を書いて、「賛成」はノーコメントでOK?、「反対」はその指摘が適切でないことを述べ、「保留」は「後少し加筆・修正で対処できるだろう云々」といったかんじでしょうか。電気山羊 2004年8月30日 (月) 19:01 (UTC)
p.s. 秀逸ピックアップのストックを作っていて、秀逸な記事を校正・推敲する必要を感じました :-( 今後、専門知識を持った人が参入してきたときにも決定的なミスが発見されることもあるでしょうね。。
「秀逸な記事に指定された項目の再選考」ではいかがでしょうか?ノートページでもよいですが、ログ化などの問題も出てきそうですので、別にドキュメントを設けるのでもよいかと思います。現在はWikipedia:秀逸な記事の選考で「こちらで再考することができます」となっているので、その文面を直すことも必要ですね。--Aphaea 2004年8月31日 (火) 14:30 (UTC)
まとめを作ってみました。
  • 秀逸から外すことを賛成・反対・保留による投票で決める。投票資格は秀逸の選考と同じ(ログインユーザ)。ただし捨てハンによる悪戯を防ぐためには、ある程度の投稿歴を要求してもよいかもしれません。
  • 投票資格がなくてもコメントを付けることが出来る。
  • 賛成が75%である場合に秀逸な記事から外す。票数の制限(最低何票)を付けることも考慮する(秀逸選考の参加者数から考えて5票ほどが適当か?)。
  • 再選考の期間は1ヶ月程度。あるいは2週間(問題がある場合、できるだけ早期に対処することが望ましいため)。
  • 問題が解決された後、記事が再び秀逸な記事の選考に推薦されることを妨げない。
  • 再選考の場所は、このノート、または独立したWikipedia文書とする。
こんなところでどうでしょうか。--Aphaea 2004年9月5日 (日) 18:03 (UTC)
まとめありがとうございました。だいたい良いように思いました。Wikipedia:秀逸な記事の再選考あたりでどうでしょうか。あと、「選考」開設以前のものは一度選考を通しておいた方が良いのかなとも思っているのですが、どう思われますか?電気山羊 2004年9月7日 (火) 23:19 (UTC)
同感です。以前は、現在のWikipedia:おすすめ記事のような性格のものだったようですし、その後に分割されて大幅に内容が変わっているものもあります(キリスト教など)。基本的には高い水準の記事が多いので問題はないかと思いますが、むしろ再選考システムのバグだしということで、記事を再選考にかけることを提案します--Aphaea 2004年9月8日 (水) 02:14 (UTC)

荒いですが、素案を作ってみました。御査読をお願いします。以後はあちらのノートページで細部をつめるのはいかがでしょうか。--Aphaea 2004年9月9日 (木) 17:48 (UTC)

ドラフト作成ありがとうございました。では今後はそちらで。電気山羊 2004年9月10日 (金) 21:41 (UTC)

Wikipedia:秀逸な記事のありかた[編集]

セクションを分けました。電気山羊 2004年8月31日 (火) 13:00 (UTC)

今回再考の議論が出てきたことを受けて思ったことを書いてみます。議論を拡散させるだけかもしれませんが。それは、この自由に編集可能な百科事典と現在の殿堂入りの感のある秀逸の記事はなじまないのではないかということです。記事の質を上げるという点において、この企画自体は賛成なのですが、むしろ選考後の短期間だけ記事の質を保証しトップページに掲載する特集記事で十分ここで目指していることはまかなえるのではないかということです。特集記事的な扱いであれば、記事のその後にあまり気を配らないでも良い(そもそも再考過程はあまり楽しくなさそうなので人気がなさそうです)。Tsube 2004年8月30日 (月) 19:46 (UTC)

まず「秀逸な記事」になったからといって編集が制限されるわけではないので、その点について私は問題とは思っていません。心理的に敷居が高くなるのは理解できますが、それはある程度質が高く、まとまった他の記事でも同じことではないでしょうか?内容の構成やバランス、文献調査による裏付け、文章の推敲・校正などがしっかり行われた記事であれば、それを編集するにはそれなりの下調べや心構えは必要になってくるのではないでしょうか。
つぎに品質が保たれ続けることも重要だと思っています。それはウィキペディア自体の価値に関わって来ますし、今後ウィキペディアが発展して CD/DVD などに fix される際に必要となってくるでしょう。「Wikipedia:秀逸な記事」が目的としていることはそういうことだと私は理解しています。執筆者への賞賛となること、他の記事の見本となること、メインページで掲載すること、などは副次的なことだと考えています。電気山羊 2004年8月31日 (火) 13:00 (UTC)
スラッシュドットのジンボさんのインタビューにもありましたが、現在のウィキペディア(こちらで考えているのは英語版でしょうが)を 1.0 stable としてリリースする計画もあります。すでにドイツ語版ではウィキペディアの記事をピックアップしてテーマ別に編集して出す WikiReader の刊行も始まっています。秀逸な記事内容と「いつでも編集可能」というのを両立させることは難しいことですが、読者に一定の品質の情報を供給するという百科事典本来の目的を執筆者に意識させる上で、秀逸な項目の選定は重要だと思っています。--Aphaea 2004年8月31日 (火) 14:30 (UTC)
あまり賛同が得られない状況で特にこの話題に深入りしていくつもりもないのですが、より良い方向を探っていくことは悪いことではないと思いますので、将来私と同じようなことを考える人が出てきた時の糧になればと思い、最後にこの間考えたことを書き留めておいて終わりにしたいと思います。「FIX版を前提としない現状で、ある記事に確定した評価を与えようとすると上記のような場合など、いろいろと面倒なことを抱え込むことになる。その他、特に10年単位の期間を考えた場合、現実の変化に付随して変化していかなければいけない記事も多くあり、原理的にはその都度評価も変えなければいけないはず。それゆえ、この百科事典には将来に渡って固定する評価でなく、ある特定の時期の版だけを評価をする仕組みがふさわしい。対案としては、毎週特集記事に取り上げる記事を投票で決める。投票の基準は現在の秀逸な記事と一緒。ただし投票方式は、反対、保留票はなく、賛成のみ。そのかわりに、否定肯定面からのコメントを投稿できる。有効なコメントは、他者の投票に影響を与え、無効なコメントは投票に影響を与えないことで、結果的に一番良い記事から特集記事として浮上していくことになる。最低10票賛成を集めた記事の中で、最も得票の多いものが次の週の特集記事としてメインページに掲げられる。始めの推薦から3ヶ月立ったものは候補から消していく。最初の立ち上げ期間は、今とは選考過程が違う初期に選ばれた秀逸な記事を候補の当て馬として使う。」ラフな案ですが、記事の品質向上には貢献すると思います。そのうちどなたか拾ってやって下さい。ピアレビュウもできれば良いとは思いますが、匿名でかつオーサーシップを強調しないウイキペディアにはなじまないかなと思います。Tsube 2004年8月31日 (火) 20:36 (UTC)深追いしないといったんですが、気になったのでもう一点だけ指摘しておきます。現状では全ての秀逸な記事が専門家の手で査読されているわけでないので、より専門知識を持った人が参入してきた時に秀逸でないという指摘をされるのは、仕方のないことだとは思いますが、参加している誰にとってもあまり楽しいプロセスではないと思います。しかもそのプロセス自体は一番大切な記事の向上という点には資さないのです。それよりも過去に選考した時点のコミュニティによって秀逸とみなされたということであれば、そのようなネガティブなプロセスを経る必要がなくなります。もちろん期間限定の秀逸な記事だからといって、それ以降の記事の向上の努力を怠るべきではないのは、他の記事と一緒です。Tsube 2004年9月2日 (木) 02:53 (UTC)

月間感謝賞ノートと似たような議論をされているので参加させていただきます。単刀直入に言って、現在の秀逸記事制度が要求する水準は高すぎ、特に秀逸記事選考の目安(基準)のうち、

>その主題を扱う専門家(研究者、実務家、その他)から見て、必ず説明されるべきことが全て説明されている。但し、何が必須かは部分的には関連記事との連携・分担関係にもよる。

の条件が厳格すぎて、なかなか候補作が現れず、選考を通過する記事も極めて少ないのが現状です。またツベさんが上に指摘されたような問題が起こる可能性もあります。私個人としては上の専門家条項をはずして、もう少しカジュアルな形で月間の優秀作を選考する制度の方が良質な記事の奨励としては適しているのではないかと考えています。この場合、秀逸記事制度を月間優秀作制度に代えてしまうのがいいのか、秀逸記事制度は温存したまま月間優秀作制度を新設するのが良いかは後考を待ちたいと思います。現在、個別にみれば素晴らしい記事はいくつもありますが、全体的な投稿傾向は依然として短文記事やある種の偏向があり、このような傾向是正のためにも良質な記事に対する何らかのインセンティブの必要性を感じるのです。なお、新着記事については制度の趣旨が全く違うので、ここで言及する必要はないと考えます。Trek011 2004年9月23日 (木) 06:54 (UTC)

たしかに秀逸選考への参加が難しいのは感じています。しかし上でも書きましたようにウィキペディアの外から眺めたときに「Wikipedia:秀逸な記事」自体はあった方が良いし、その選考過程は少々厳しくても良いのではないかと思っています。また同時に Trek011 さんや以前 Gombe さんがされているご指摘のように良い「小項目」記事が選ばれない問題も解決したいと考えていましたし、Tsube さんのご指摘にあるように「回転」を上げた方が質の向上に効果的につながるとも思いました。
そこで、新たに月間優秀作制度を開設するか、あるいはWikipedia:おすすめ記事(またはWikipedia:今週の強化記事や新着記事?)との提携した企画を考えてみてはどうでしょうか。
別の案ですが、オランダ語版やドイツ語版では「執筆コンテスト」も開催されているそうです(m:ウィキメディアニュース#2004年7月9日より)。例えばこの副賞としてウィキマネーの供与があってもよいかもしれません。
とりあえずこういうことを考えてみました。誰か議論を調整し、具体的な案まで策定してく人がいらっしゃれば、可能な企画なのではないかと思います。どなたか舵取りをしてみませんか?電気山羊 2004年9月23日 (木) 10:17 (UTC)

個人色の強い優良な新規投稿と、多くの人の参加した成熟した記事、両方に与える賞があって良いと思います。新記事賞は実質個人への賞賛色がつよくなるとおもいますが、ここで個人への賞にするのはwikipediaの理念とあわないと思います。

  • 月間新記事賞 前月の新記事ピックアップに取り上げられた記事が候補。記事自身の完成度は二の次で、良い新記事を投稿してくれたことに対する感謝を票としてあらわす。投票期間は一月。一人何票でも投票可能。最多得票記事がその月の新記事賞。
  • 月間優秀記事賞 審査期間は2ヶ月。最初の一月は候補のエントリー期間。その一月の間に、秀逸な記事の反対、保留票にあたるコメントを候補記事のノートに受けつける。2か月目に投票受付開始。投票基準は秀逸な記事と一緒で、記事の完成度が一定基準に達しているか否か。さらに前月にノート書かれたコメントが記事に反映されているか否か。もちろん的外れなコメントもされるので、すべてのコメントを反映している必要はない。一人何票でも投票可能。最多得票記事がその月の優秀記事賞。

こんなところから議論をはじめてみませんか。実際はお遊びみたいなものだとは思いますが、こういうプロセスで候補を含めてたくさんの良記事が常に、その他多くの記事の中から浮かび上がってくること自体にプロジェクトにとって重要な意味があると思います。 Tsube 2004年9月23日 (木) 20:36 (UTC)


こちらでの議論を受けて、新しい記事ピックアップを候補として、利用者:Tsube/月間新記事賞 (2004年9月)に月間新記事賞を策定しました。wikipedia:井戸端に趣旨を書きました。皆様の、ご意見御協力をお願いいたします。 Tsube 2004年10月3日 (日) 01:13 (UTC)

英語版でも執筆コンテストen:Wikipedia:Danny's contestが始まるようです。受賞者にはウィキペディアTシャツ、マグカップなどが贈られるとのこと :) ご報告まで。電気山羊 2004年10月10日 (日) 08:51 (UTC)

長江文明について[編集]

削除→新たに投稿、となったことからコメントアウト部分も完全に除去しました。正直に言わせて貰うと、前の長江文明が秀逸にふさわしいとは思ってなかったのですが・・・。

シュガーベイブの選考の過程[編集]

シュガーベイブの選考の過程が知りたいのですがどこかにログはないでしょうか?現在選考に挙がっている各項目に比べても明らかに見劣る記述量なんじゃないか?と思うのですが・・・Elthy 2005年3月22日 (火) 07:35 (UTC)

こんにちは。選考ができる前のものには明確な選考過程はありません。現在のWikipedia:おすすめ記事と同じような感じで、「いくらなんでもこれでは」という意見が出なければ追加されていました。追加自体は2003年3月7日の Tomos さんの編集[1]によります。この時点で、秀逸な記事がわずか3つだったことは留意していただければと思います。また選考ができた後も、既にリストに加えてあった項目の見直しは行っていません。以前と比べると全体的な質も上がってきていると思いますので、現在の基準には満たないものも出てきているかもしれません。ではそういう項目の扱いをどうするかということですが、まだ方針が決まっていません。以前Wikipedia:秀逸な記事の再選考で試みましたが、関心を示す人が少ないことなどから頓挫していました。個人的には今は、順次、再度の選考を行っていってはどうかと考えています。この際、一つか二つずつ通常の手順で選考にかけてみるというのはどうでしょうか。電気山羊 2005年3月22日 (火) 09:38 (UTC)
Tomosさんの編集については「ウィキペディアには現在この名前の項目はありません。」状態になっているようでいまいちよくわかりませんが、再選考についてはだいぶ前に頓挫したようですね。項目を推薦したのですが結構酷評だったので、他の項目を見た時に赤リンクの多さにこれに比べて選考基準が上がりすぎてないだろうか?と思ったのでいちゃもんをつけた、という感覚に近いかもしれません。Elthy 2005年3月22日 (火) 23:49 (UTC)
IE だと文字コードの扱いの関係でリンクが正常に機能しないようです。履歴をみると要約欄にコメントがありますので、確認できると思います。選考の批評は反映させてその項目を良くするものですので、そこであきらめずに改善していってはどうかと思います。理不尽な要求なら反論することもできますし。またWikipedia:査読依頼も作成しましたのでこちらを使ってみるのも良いかもしれません。電気山羊 2005年3月25日 (金) 14:00 (UTC)

バハーイー教も、私自身この分野をまったく知らないので品質を云々することはできませんが、英語版があれほどの分量なのに日本語版では(うちのパソコンでは)わずか二画面分なので、秀逸な記事と言うにはまだという気がしますね。長大でも低品質、短くても凝縮しているということもあり、分量がすべてとは言いませんが、あるテーマについて周到な説明を尽くそうとしたら、どうしても記述量が増えてくるものなので、質を伴った上での「分量」も明確に判断基準に入れていいと思います。電子上の百科事典なら、紙媒体と違って紙幅制限がないのだし。また、秀逸な記事の選考基準が非常に厳しい一方、その基準では通らないであろう項目が入っているのではすっきりしないので、再選考には賛成します。--Charon 2005年3月22日 (火) 13:57 (UTC)

では再選考を少しずつ行いたいと思います。ただちょっと今は手がまわりません。来月あたりからぼちぼち始めようかと思います。具体的な方法や再選考をとりまとめてくださる方がいれば、そうしていただけるとありがたいです。電気山羊 2005年3月25日 (金) 14:00 (UTC)

デザイン[編集]

ドイツ語版みたいなデザイン性のあるページがいいな.....-- [Café] [Album] 2005年3月13日 (日) 12:12 (UTC)

このページとは別に、おすすめ画像や新着項目よりなどもまとめて掲載する「ハイクオリティ・ポータル」みたいなものはどうでしょう?今のところアイデアだけですが。電気山羊 2005年3月25日 (金) 14:00 (UTC)

秀逸な記事の少なさについて[編集]

今日他言語版の秀逸な記事を見て気づいたのですが、日本語版は他言語版に比べて記事数の割に秀逸な記事が少ないと思います。実際に、現時点での総記事数と秀逸記事数を調べてみました(少し数え間違いなどあるかもしれませんが)。以下に、記事総数、秀逸記事数、秀逸記事1記事あたりの記事数(?)を挙げました。見づらかったらごめんなさい。

英語版      507423  552   919.24
ドイツ語版    212653  355   599.02
日本語版     108393   46  2356.37
フランス語版    92590  178   520.17
スウェーデン語版  67029   50  1340.58
オランダ語版    60543   84   720.75
ポーランド語版   60436   88   686.77
スペイン語版    44303   24  1845.96
イタリア語版    37837  111   340.87
ポルトガル語版   34511   60   575.18
中国語版      22960   12  1913.33
エスペラント版   21703   15  1446.87
ノルウェー語版   20524   14  1466.00
フィンランド語版  17186   18   954.78
ヘブライ語版    16697  150   111.31
ルーマニア語版   11537   57   202.40
スロベニア語版   11216   8  1402.00

もちろん、ただ数だけ多ければいいというわけではありません。ただ、このように、記事数が比較的多い言語版の中で日本語版が最も記事数の割に秀逸記事が少ない部類に入ることを考えると、

  • 秀逸に値する記事が実際に少ない。
  • 秀逸記事の基準が厳しすぎる。
  • 選考が不活発で秀逸に値する記事を発掘できていない。

というような問題が、少なくとも1つは当てはまるのではないかと考えます(今までほとんど秀逸な記事の選考などに関わってこなかった私がいうのも申し訳ないのですが)。もっと秀逸な記事は多くてもいいのではないでしょうか?Enirac Sum 2005年3月25日 (金) 13:39 (UTC)

こんにちは。そうですね、それらの三つは的を射ていると思います。基準については個人個人で、または個人の中でも安定していないので難しいところがあります。特に不活発であることは大きな問題だと思います。多くしていこうという動きは歓迎するものです。査読や推薦と批評後の反映など積極的に行っていただけるとありがたいです。また、より活性化できる案がありましたらご提示ください。電気山羊 2005年3月25日 (金) 14:00 (UTC)
秀逸記事の基準が厳しすぎることはないと思います。この基準は英語版とほぼ同じですしね。この基準を一言でいうと『ウィキペディアの扉に相応しい記事』かどうかです。執筆者の目標となる基準ですので変更する必要はないように思います。ただ、秀逸記事の選考期間が3ヶ月と長いのが気になります。2週間、長くて1ヶ月ぐらいが丁度良いんじゃないでしょうか?また秀逸の推薦ですが、若干記述が足りないようでもどんどん推薦するのがよいかもしれません。推薦されたことで加筆が進む可能性もあると思いますので。わたしも一週間に1~2記事推薦できればと思って色々読んでいる最中です。--Ligar 2005年3月25日 (金) 15:02 (UTC)

ちょっと活性化案を考えてみました。手前味噌ですがWikipedia:査読依頼をどんどん利用するというのはどうでしょうか。選考で何度も落ちるとやはりモチベーションが下がりますし、通過の是非に関わるのでコメントする側も気軽にできない面があるように思います。査読依頼は選考に直接関係しませんので、もっと気楽に思ったことを書くことができます。ここでの指摘を項目へ反映させ、十分に練り上げてから推薦するとより通りやすくなるのではないかと期待します。そうすると選考期間は短くできるかと思います。特に義務づけは考えていませんが、いかがでしょうか。電気山羊 2005年3月25日 (金) 15:22 (UTC)

査読依頼の利用については私も考えていました。ちょうど自分もある記事を加筆していて、ある程度満足のいく段階に達したら査読依頼に出そうと思っていたところです。査読依頼と秀逸な記事の選考がうまく連動すれば、もう少しで秀逸という記事を、本当に秀逸というレベルまで上げるのにも役立つでしょう。現在、秀逸な記事の選考では査読依頼は関連項目の一つに挙げられているだけですが、これをルールのところの文にうまく組み込めればいいと思います。例を一文挙げると、「秀逸な記事の選考に出す前に、査読依頼に出して問題点などを指摘してもらうのもよいでしょう。」というような感じでしょうか。まず選考の活発化を図らないことには、まだ秀逸な記事が埋もれているのか、ルールは適正なのかどうかも本当には分からない気がします。Enirac Sum 2005年3月25日 (金) 16:05 (UTC)

選考のルールに査読依頼を奨める一文を入れてみました。電気山羊 2005年3月26日 (土) 11:01 (UTC)

とにかく、Wikipedia:秀逸な記事の選考にどんどん記事を入れて、どんどん投票しましょう。たとえ落選してもどこを加筆すればいいのかが見えてくるし、通過すればそれだけ秀逸な記事が増えることになるわけですから。ということで、自薦記事以外に投票してきました。--Tamago915 2005年3月26日 (土) 04:44 (UTC)

えーっと、どんどん入れてどんどん落ちると精神的にあまり良くなさそうだと心配します。とにかく批評が受けられれば良いというのであればWikipedia:査読依頼を活用した方が良いと思いますがどうでしょうか?電気山羊 2005年3月26日 (土) 11:01 (UTC)
今のところ、査読依頼の位置づけがはっきりしていないので使いづらいと思います。自分が執筆にそれほど関わらなかった記事を査読依頼に出していいのかどうか、はっきりさせたほうがよいのではないでしょうか。--Tamago915 2005年3月26日 (土) 12:16 (UTC)
今の雰囲気を読んで書くと評価とかでは酷評を書いてしまいそうですね、つい。保留とあっても文章を読むと「それは条件付賛成じゃないの?」という感じのものもあるのですが、心情的には「こんな項目はどうあってもいらない」という意図があるかな?ということもありそうです。Elthy 2005年3月28日 (月) 02:16 (UTC)

私は、日本語版に来て数ヶ月、まだ眺めているだけだが、日本語版は、根本的に末端でのコミュニケーションがうまくいっていないところが多い。過疎化してるか、ひたすら記事を書いてるか、とにかく、各ジャンル内のコミュニケーションというものが盛り上がっていない。結果、その分野に精通している人が、そういった推薦には関わらない。この状態でただ記事を推薦して投票しましょうってのはいつも通りの常連の馴れ合いに終始するだけ。見かけだけの単なる底上げでしかなく、コミュニケーションが取れているという嘘の公表でしかない。嘘ペディア日本語版としてはいいのかもしれないが、嘘吐きらしい発想だと思う。それは普段から嘘ばかり吐いてるからこその発想。雰囲気よくあれもこれも推薦していこうというのではなく、結果の数字しか見ず、中身は隠して結果の数字だけをそとに「嘘吐きの国ニッポン」として公表するだけ。日本語版全体が嘘吐きというつもりはないが、少なくとも、Tamago915さんの発想は普段私が吐いているようにミナサン嘘を吐いて行きましょうという提案でしかない。末端のコミュニケーションが上手くいってない状態で、分野外の人がそういう所にどんどん放り込んでいって記事にケチつけ始めたりすると潰れるだけ。加筆するのはその分野の人なのだから、その分野の人同士が上手くいかないことにはどうしようもない。

日本語版は全体の常連はいるけど、程度の低い全体の常連しかいないというかなんというか…--JJJ 2005年3月26日 (土) 08:00 (UTC)

現状を憂えているのはわかりますが、ならばその対策をお聞きしたいと思います。どのようにすれば、末端のコミュニケーションがうまくとれるようになるとお考えでしょうか。
私は別に数だけ帳尻あわせをしたいのではなくて、現状の秀逸な記事の質を保ったまま(あるいは向上させて)、量も増やしていきたいと考えています。そのためには、秀逸と思える記事を積極的に提案していくことがよいのではないかと考えています。これでうまくいくかどうかはわかりませんが、うまくいかないことを前提として反論されると困ります。
PS. この書き込みをきっかけに、2ちゃんねるで「Tamago915」のハンドルを名乗った人物が出ているようです。注目されているのは嬉しいのですが、自分の考えと異なることをあたかも自分の考えのように書かれると、これも困りますね。--Tamago915 2005年3月26日 (土) 12:16 (UTC)
程度が低いか高いか、という意味で言うとやや資料がまずなさそうなところにいちゃもんにつけたりするてらいがあるかな?と思ったことがありますが、まぁそれは好みの問題でしょう。自分もジャンル的に嫌いな言葉が出たらそれとなく無理目の難題を押し付けて保留とか書いてしまうかもしれません。問題はその追記は必要なし、と裁定された後や修正後に3票集めていくために必要な見る人の絶対数があまりにもないことに尽きると思います。その為に数少ない人の好みが露骨に反映されてしまいやすくなっています。秀逸な記事の存在、選定は全ての執筆者にとっての名誉でもあるんですから、トップページの「執筆コンテスト参加者募集中」の横か下あたり「秀逸記事候補の選定にご協力ください」とでも書くくらいでもオーバーではないくらいです。Elthy 2005年3月28日 (月) 02:38 (UTC)

自分が執筆に関われそうもない記事だと、この記事は秀逸に値するのではないかと思っても、候補にあげられないという面があると思います。内容に批評を受けても修正できないわけですから。そのあたりのハードルをうまく下げられればいいと思うのですが、うまいアイデアが浮かびません。--Tamago915 2005年4月2日 (土) 11:15 (UTC)