Wikipedia‐ノート:査読依頼/過去ログ1

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質問[編集]

2点質問させて下さい。

  1. 「査読」とは、どういう意味ですか?
  2. 依頼の仕方については、説明がありますが、それに応じるにはどのようにすべきですか? このページなのか、各記事のノートなのかどちらなのでしょうか?--oxhop 2005年3月26日 (土) 13:33 (UTC)
  1. 「査読」は読んでみて評価したり指摘したりあるいは質問したりするといった意味のつもりです。依頼者が他人の意見を参考にして、内容に反映させてより良くしていくことを目的としています(ここのところ明示してませんが)。もう一つは秀逸な記事の選考よりももっと気軽にコメントできる前段階としての場を提供することです。個人的には「コメント依頼」くらいのつもりですが、これは既に使われていましたので「査読」を使ってみました。名称については他により適切なものがあれば変更したいと思います。案がありましたらどうぞ。
  2. コメントは基本的には当該のサブページが良いと思います。理由はまとめてあったほうが注目度が高くなり、より活性化できるのではないかという推測からです。電気山羊 2005年3月26日 (土) 14:02 (UTC)

素早いお返事ありがとうございます。「査読」というのは、広辞苑などの大型辞典にも掲載されていないので間違っているかもしれませんが、ネットで検索してみた結果、「専門家によって、学術雑誌等に掲載するか否かを審査すること」という意味だと理解しました。専門家による監修のようなものがあればベストなのでしょうけど、電気山羊さんの趣旨としては、専門家かどうかは問わず、他者の目で見てどうなのかを批評してもらいたい場合に利用する場ということですよね。だとしたら、「批評依頼」はどうでしょう? 2つ目の点については、削除依頼なんかと同じにするわけですね。私もそれが良いと思います。--oxhop 2005年3月26日 (土) 17:01 (UTC)

ご提案ありがとうございます。そうですね、批評依頼の方がより良いと思います。「査読」は権威的で絶対的な判断の意味合いがありますので。他に案がでなければ批評依頼に変更しようと思います。方法は削除依頼とおなじ形式ですね。このあたりの説明を付け加えておこうと思います。電気山羊 2005年3月27日 (日) 13:21 (UTC)
「コメント依頼(RfC)」あるいは「感想依頼」くらいなら、気軽に書けそうですが・・・miya 2005年4月2日 (土) 05:26 (UTC)
「査読依頼」だと、Oxhopさんや電気山羊さんがおっしゃっているように、専門家による専門的な指摘や監修を期待しているように思われてしまう可能性があると思います。例えば、その分野について全く知らない人が記事を読んで、ここが分かりづらかったので直してほしいといったコメントをしようとしても、「査読」ではないのではと気が引けてしまうかもしれません。専門家による査読も、全くの門外漢から見たコメントもどちらも投稿しやすいような名称に変更するといいと思います。「査読・コメント依頼」や「査読・感想依頼」などと併記するのはどうでしょうか。Enirac Sum 2005年4月21日 (木) 13:55 (UTC)
辞書的な意味合いはともかく、「査読」というとやはり硬い印象、敷居の高さ、そんな感じがあります。電気山羊さん、Oxhopさんのご指摘のとおり、柔らかい表現にすれば、より議論が活発になっていいと思います。私個人の意見としては、「査読」という単語を取り除くのがいいかな、と思います。アズンチャ 2005年9月24日 (土) 08:26 (UTC)

「査読」という語について、前に辞書に載ってないと書きましたが、その後、査読の記事もでき、また大辞林に掲載されていることも教えていただきました([1])。「査読」という言葉は、は「審査」という意味合いが強いんですね。ウィキペディア日本語版では「秀逸な記事の選考」がこれに近いですが、本ページの表題としては日本語として不適切であろうと再認識しました。自分としては、「批評」という単語が、専門的な見地からの「講評」も、素人的な見地からの「感想」も含む広い概念であるという理由から、「批評依頼」にしたらどうかな、と思いました。あるいは、ここを利用するケースとして、

  1. 力を入れて執筆したので、他の人が一読してみてどう思うのか、褒めるのでも貶すのでもいいから、なんらかのリアクションを返して欲しい(この場合は、「面白かったです」の一言でもでも目的を達する) ではなくて、
  2. 既にある記事について、さらに充実化させたいのだけれども、どういう点が足りないのかとか、構成について2通りアイディアがあるけれどもどちらが良いと思うか、等のアドバイスが欲しい

という場合のみを想定するのであれば、端的に「助言募集」でも良いかなと思いました。「○○依頼」で統一すべきだというのであれば「助言依頼」ですが、広く集めたいのであれば「募集」の方が適切な日本語ということで。

しかし、2. の方は、1. に比べると、その分野に関して全然知らない人にはちょっと敷居が高いし、長大な記事だと目を通すのだけでも大変で、こちらだけをターゲットとするならば、なかなか活性化は難しいだろうな、と思いますが。--oxhop 2005年9月24日 (土) 13:28 (UTC)

当記事の削除依頼について[編集]

当記事を削除依頼に出させていただきました。理由は十分な検討なく作られ、全く機能していない依頼ページだからということです。何らかの形で(名称を変える、しくみを変える、広報するなど)機能するようにご検討願います。このまま機能しないページのままになるようでしたら、削除もやむを得ないと考えます。--Tamago915 2005年4月16日 (土) 01:05 (UTC)

この提案は削除の合意を形成するにいたりませんでした。事後報告。--Aphaia 2005年5月26日 (木) 20:50 (UTC)

査読依頼用Templateの提案[編集]

最近査読依頼にあまり動きがないのは、ひょっとすると査読依頼に出ていることを知らない人がいるからかもしれませんね。そこで査読依頼に出ているという旨のTemplateを作ってみようと思うのですがどうでしょうか?--PiaCarrot 2005年9月9日 (金) 12:48 (UTC)

すでにあります。--Aphaia 2005年9月9日 (金) 14:05 (UTC)
{{expand}}は加筆依頼だったと思います。後、Wikipedia:査読依頼#利用の仕方には査読依頼用のTemplateの話はありませんが。--PiaCarrot 2005年9月10日 (土) 03:03 (UTC)
査読依頼に出ている記事のノートをごらんください。--Aphaia 2005年9月10日 (土) 03:07 (UTC)
{{査読依頼}}がそれのようですが、Wikipedia:Template メッセージの一覧にも無かったようです。表とそこに追加しておきます。--PiaCarrot 2005年9月10日 (土) 03:50 (UTC)

査読依頼の反応がありません[編集]

井戸端より 2005年10月30日 (日) 02:26 (UTC) 移動

ジャコバイトについて、査読依頼をかけたのですが、何も反応がありません。何かマズイことをしてしまったのでしょうか。それとも、やらなければいけないことがあるのでしょうか。:アズンチャ 2005年10月1日 (土) 15:28 (UTC)

査読依頼は名前こそ「査読」を冠していますが、とくに専門に誰かが管轄しているというようなものではなく、気が向いた人間が本文を読んで気がついたことをコメントするというような性質のものです。したがってあまり専門的な内容であるなどといったことがあったりしますとコメントがつきにくいということはあるかもしれません。気負わずに気長にコメントを待つつもりでいらしたほうが良いかもしれません。--Lem 2005年10月1日 (土) 15:41 (UTC)
コメントありがとうございます。専門性の問題はあるかもですね。私としては百科事典なので、読者を選ばないように書いたつもりですが、それでも専門的すぎたのかもしれません。「ここがわかりにくい」「これ何?」などといったご指摘でもなんでも、よろしくお願いします。:アズンチャ 2005年10月1日 (土) 16:11 (UTC)
以前にわりと大きな項目をかけてみましたが、最初にコメントがつくまで一月半ほどかかりました。気長にまたれるのがよいと思います。ここがわかりにくいという指摘はありがたいと私も思いました。--Aphaia 2005年10月1日 (土) 17:12 (UTC)
実は読んでいるのですが、査読依頼が出ていることは知りませんでした。本文にテンプレートの形で出ていると、もっと多くの人が気づくかもしれませんね。いろいろ議論があるところだろうと思いますが・・・。私自身は査読する立場ではありませんが、良く書けた文章だと思っていました。Zorac 2005年10月3日 (月) 14:33 (UTC)

査読の期限[編集]

現状では、1ヶ月で終了扱いにしてリンク化というのは早すぎるような気がするのですが。1ヶ月以内に何のコメントも付かない依頼もいくつかありますし…。せめて3ヶ月くらい残すというのはいかがでしょうか。--FuJi 77 (talk|hist) 2006年3月21日 (火) 22:50 (UTC)

コメントのつかない項目および議論が進んでいる項目は、1ヶ月過ぎても残しておくという運用が暗黙の了解みたいな感じだったのですが、明文化したほうがいいですね。ただ3ヶ月というのは長いかもと思います。今のペースで査読依頼がくるなら、回転率を考えるのもありかと。--S kitahashi(Plé)2006年3月22日 (水) 01:44 (UTC)

サブページの当該項目ノートへの添付[編集]

先日 Y tambe さんと話していて、査読期間終了後、査読依頼のサブページを当該項目のノートにリンクしたら良いのではないか、という話になりました。その後、編集する人の参考になると思います。基本的には任意になると思いますが、{{査読依頼}}を外すついでにでも行えば良いかなと。しばらくして反対が出なければそれを推奨する旨、書き加えようと思います。いかがでしょうか。電気山羊 2006年5月5日 (金) 12:16 (UTC)

賛成です。--oxhop 2006年5月5日 (金) 12:38 (UTC)
同じく賛成です。--S kitahashi(Plé)2006年5月5日 (金) 13:46 (UTC)
同じく賛成、二度手間を防ぐ効果がありそうですね。 -- かえで 2006年5月5日 (金) 15:12 (UTC)

2つの提案[編集]

査読、特に専門家による査読(peer-review)は、ウィキペディアの信頼性を問う上で、重視しなければならないものだと言えます。ところが、現在この「査読依頼」で行われている内容は、必ずしも「査読」とは呼べない内容のものが多いと感じました。

現在ここ行われている内容について、大きく分けると、以下の5種類(いずれも名称は仮のものです)があるようです。

  1. 文章の問題点をチェックする「校正 (=proofreading)」
  2. 主に専門分野の異なる人が記事の感想を述べるが助言は行わない「感想 (= report)」
  3. 専門分野の異なる人が記事内容について評価し、助言を行う「書評 (= non-peer review)」
  4. 記事内容について参考文献などと照合しながら正確性を確認する「検証 (=verification)」
  5. その分野の専門家による「査読 (= peer-review)」、

以上の状況をふまえて、今回、提案を二つ行います。一つは、Wikipedia:校正依頼を分離すること、もう一つは査読依頼でのコメントに分類を示すことについて、の提案です。提案の詳しい内容については、それぞれ小セクションとして後述します。

秀逸な記事や査読などを含めた、ウィキペディアにおける記事の品質評価システムについては、かねてからいろいろと考えている部分は多いのですが、「かくあれかし」という理想と、現在のウィキペディアの状況とを照らし合わせて、実現可能性を考慮しながら進めていく必要があると思っています。個人的には私も(他の方々と同様に)かなり長期的な展望まで持ってはいますが、一歩一歩着実に進めていくために、まずはこの二点から検討していただけると幸いです。

私自身は主に「校正を依頼する立場」「記事の評価を依頼する立場」「依頼された記事を評価する立場」からの観点で考えていますので、特に「依頼された記事を校正する立場」の側から、率直な意見が聞けるとうれしいです。--Y tambe 2006年5月17日 (水) 11:27 (UTC)

Wikipedia:校正依頼の分離[編集]

上に挙げた5つの作業のうち、(1)の校正については、学術論文の投稿の場合の手順では、査読などの講評を依頼するに先立って(あるいは査読後の最終段階に)別途行われる作業です。記事に書かれてある内容そのものにはほとんど関与しないこと、校正者自身が記事の編集を行うことなどの点からも、他の4つの作業とは異なる部分が多いです。また、優秀な校正者は優秀な執筆者と同等(あるいはそれ以上)の価値がありますが、それだけに執筆している側からすると、個別に探し当てて作業を依頼するのは意外に困難です。

このため、第三者による文章校正とwikifyのチェックを第三者に依頼できる場として、Wikipedia:校正依頼を作ることを提案します。

現状では、これと類似する依頼やそれに対する作業は、このWikipedia:査読依頼と、Wikipedia:秀逸な記事の選考Wikipedia:整理依頼で行われているようです。ただし、この前2者とは、その作業内容というか、性質に違いがあるのではないか(前者は、いわば「口は出すが手は出さない」人を相手にした依頼になるので)、と考えています。また整理依頼については、ここで提案している校正は、整理依頼の対象となるような、「明らかに文章やスタイルに問題があり、修正/整理を必要とする」項目を対象とするものではなく、むしろ「書くべきことのほとんどが書かれ、文章やスタイルもそれなりに整っていると思われる」項目に対して、チェックを行い、その完成度を高めるための作業であること、また整理依頼が、依頼系の中ではいわば「なんでも屋」に近い性質であることから、Wikipedia:整理依頼とは別に、校正依頼がある方が依頼しやすいと思いました。実際、前回私が腸炎ビブリオを査読依頼→秀逸選考とブラッシュアップしていく過程で、この校正依頼の必要性を痛感しました。

また二つ目の提案とも重なりますが、校正と査読依頼や秀逸選考と明確に分けることは、その記事の執筆作業がどの段階まで進んでいるかという、進捗状況を明らかにする効果も期待できると思います。--Y tambe 2006年5月17日 (水) 11:27 (UTC)

基本的に賛成です。整理依頼と分離することには積極的な賛成をするわけではないのですが、ご指摘のように性質の違うことですから、一定の数があれば、分離するのがよいと思います。--Aphaia 2006年5月18日 (木) 04:25 (UTC)

もう一つ、「校正」だけを別の過程にする必要はあるでしょうか。確かに校正だけ他の4つと大きく異なりますが、記事を改善するためという目的は同じです。また校正に関してはあまり意見が分かれることもないでしょうからわざわざ独立した議論の場を設ける必要もないように思います。ただ査読依頼に出した場合に査読のページで校正面での指摘をすることを妨げるのも堅苦しいです。つまり【査読】【検証】【書評】【感想】【校正】の=== 節 ===を設けるわけです。mononohazumi 2006年5月24日 (水) 21:25 (UTC)この文章は、下のセクションに書かれていたものを移動させました。--Y tambe 2006年5月26日 (金) 03:35 (UTC)

非常に的を射た質問です。この点は今回の提案について、いちばん迷ったところでもあります。単に「提案を通す」ことだけを考えると、下の提案の一つにしぼる方が議論も単純になりますし、その方が提案する方も楽になったとは思いますが、それでも敢えてこの校正依頼の分離を二つ一緒に提案したのには、やはりそれなりの理由はあります。
  • まず「必要性」すなわち「分けなくても、このまま校正も一緒にすることは可能じゃないの?」というMononohazumiさんの質問に対する答えは、YESです。しかし、それを言いだすと、「整理依頼も加筆依頼も修正依頼も、どれも分けなくても可能だよね?」という詭弁による抗弁も可能なわけで。一緒にすることが可能である、ということは、分けなくてもよい、ということの積極的な理由にはなりません。つまり、「必要性」で議論するのではなく、分けることと分けないことの双方のメリット/デメリットを論点とすべきだと考えます。
  • その上で、私が分離を主張する理由は、その方が将来的なメリットが大きいと考えるからです。これは将来、優良な記事が増え、秀逸選考や査読依頼の規模が大きくなり、そこからそれらの記事の安定版(ver. 1.0, あるいは stable version)をリリースしていく(≒それらを集めて、「ウィキペディア1.0」を発行する)ときのケースまでを大体想定しています。
  • 例えば、今回私は腸炎ビブリオについて、その品質を自己評価しましたが、これが一定の基準を満たすことができた、と仮定します(なお、以降は、出版物として考えたときの一般的な流れを想定しています)。しかし、実際にこれを「腸炎ビブリオ1.0」として何かに収載するときには、その段階でもう一度校正によるチェックを行って完成させる(=校了する)必要があります。ただし、この段階の校正では、内容自体の意味を変えてしまう書き換えなど大きな編集作業を行ってはいけない、というのが、一般出版物の場合、一つの決まり事になっています。意味を変えてしまうと、もう一度その書き換えられた内容が正しいかどうかを評価し、さらに評価した後のものを校正して…と無限ループになり、いつまで経っても校了できないからです。内容評価(査読依頼)と校正の場を明確に分けるべきだという大きな理由の一つがここにあります。査読は一回で済んでも、校正は複数回必要になることが考えられるし(というより、通常は校正はいろんな人の手で何度も行われる)、そのときに「ノイズ」が入ることを極力避けられるシステムが望ましいというわけです。
  • 次に、これはどちらかというと、私の個人的な経験(英文学術雑誌への論文投稿など)と価値観によるところも大きく、「フレームのもと」になりかねないことを承知の上で敢えて述べる私見ですが、査読や批評などを依頼するときの文章については、一度は第三者による目を経て、校正上のチェックを済ませたものを提出すべきだ、という意見を持っています。例えば、英文学術誌によっては投稿規定の中に『英語を母語としない人が投稿するときには、ネイティブ・スピーカーによる校正を行うこと』という条件を盛り込んでいるところも多く、査読前に一度校正を通すことが推奨されています。ウィキペディア日本語版は、もちろん日本語を母語とする人が書いた記事が多いわけですが、ウィキという執筆形態から、全体の文章スタイルの統一が崩れやすいため、雑誌の編集者が行うような編集作業や、いわゆる「草取り」、校正、wikifyという作業の必要性がとても高いと考えています。論文投稿では、校正の余地のある論文を査読に回すことは、査読者の心証を下げてしまい受理されにくくなる可能性もありますが、ウィキペディアでも同様に秀逸選考に諮るまでに校正をすませておきたいというニーズはあると考えています。また(これこそ完全に私見ですが)査読や批評を依頼するときに、少なくとも一度は校正をすませたものを渡すというのは、一種の「マナー」のようなものだと私は感じています。
これらが私が校正依頼の分離を主張する主な理由です。また「なぜ今、その提案をするのか」ということについてですが、これは「今がちょうどいいタイミング」だと考えたからです。何もかも一緒に「品質評価」でくくって事を進める方が確かに簡単かもしれませんが、上述のように、いつまでも一緒くたにしておくのは将来的に問題があると思いますから、分離が可能なタイミングを見計らって分離させるべきだろうと。そして、現在の校正/書評などの状況から考える限りにおいては、今は「校正とその他」を分けることが可能な、いいタイミングだと思っています。
回答は以上です。--Y tambe 2006年5月26日 (金) 10:33 (UTC)
ゲラへの校正を2回、受け渡しを郵送でやる場合でも、かかる時間はだいたい原稿を渡してから1ヶ月から2ヶ月くらいです。ウィキペディアの場合は作業がオンラインになりますからもっと短縮できるでしょう。あからさまにおかしな語句が出てきた場合をのぞき、内容に踏み込んだ改正はそこではなされないので、この時間でできるのだと思います。

一方査読というのは内容に踏み込んだことをいう必要があるため、読むのにもコメントするのにもそれなりに時間がかかります。サイクルの短い作業と長い作業をそれぞれ別に切り出すことには、作業効率をあげる点で一定の意味があるかと思います。--Aphaia 2006年5月26日 (金) 11:27 (UTC)

なるほど。分かりました。分ける意味はありそうですね。
しかし先に校正依頼に出して意見が出切ったものでも、査読の段階で改めて見るとまた校正面で気になる点が見つかることもあるでしょう。下のほうで かえでさんが提案されたテンプレートには【校正】あるいは【表記・文体】のような節が必要だと思います。作っておかないと【査読】のところに書いてしまう評者が続出しそうです。「査読」に相応しくない意見でも受け止める場所を用意しておかないと、対応する節に書く習慣自体が確立しない恐れがあります。
mononohazumi 2006年5月28日 (日) 01:48 (UTC)
横から失礼します。【校正依頼】を作成することと、【査読依頼】に節「校正」を作成することは、同時並行的に行うほうが良いと思います。Y tambeさんの提案は「先に校正のみを受ける」用途にはどうしても必要ですし、mononohazumiさんの指摘通り(たとえば校正後に行われた編集に対する)節「校正」も必要になるでしょう。【校正依頼】を通過した後で【査読依頼】の節「校正」に書かれる内容はかなり少なくなりますが、(常に追記を許すWikipedia上の特性上)決してゼロにはならないですので、どちらかのみを生かそうとするよりも、両方生かすほうが現実的だと考えています。 -- かえで 2006年5月28日 (日) 09:41 (UTC)
コメントありがとうございます。確かに、下で述べているように節を区切って運用することを考えると、Mononohazumiさんおよびかえでさんがおっしゃるように、校正だけに限らず「4つのどれにもあたらないもの」を書くための場所を設ける必要があると思いました。ただ、やはり個人的な意見としては、査読依頼でのやりとりは、将来的に(特にウィキペディアの外から見た)「信頼性」の評価に関わる部分になることを予想しているので、できるだけ「手は出さずに口だけ出す」場とする流れを作っておきたい(批評する人と執筆に参加する人が同じでは、批評の正当性が信頼してもらえない恐れがある)という考えを持っています。そのため、あまり「(手を出す作業である)校正の場としての居心地」を良くしちゃうのはまずくて、それはできるだけ別の場所できっちりと区切って行うべきだろう、という考えには代わりがありません。なので「【校正】あるいは【表記・文体】のような節」を他の4つと並列に5番目の区分として扱うのではなく、【その他】あるいはせめて【校正その他】くらいに止めておくのがよいのではないかな、と思っています。(下へのコメントに付けた方がいいかもと思いましたが、とりあえずここに書いておきます)--Y tambe 2006年6月2日 (金) 11:54 (UTC)

【校正】を他の4つ(とはまだ確定していませんが)と同列に扱うのは確かに本来はおかしなことですね。【その他(校正など)】というのはどうでしょうか。括弧書きはスマートではありませんが、校正という言葉を出しておかないと校正面での指摘をどこに書いていいか分からずに【査読】などに書いてしまう人が現れそうです。また括弧書きにすることでその他に含まれる二義的なことだというニュアンスが出せると思います。mononohazumi 2006年6月4日 (日) 10:02 (UTC)

なるほど……そうすると、【校正依頼】は、タイトルとして【校正作業記録依頼】などを採用し、本文中でも「意見を出す場所ではなく、校正作業の結果を記録する場所」であることを掲示する……という感じでしょうか。【査読依頼】では、「校正などを行うほうがいいかもしれない点」を指摘する『校正その他』か『その他(校正など)』を設けて、口出しのみの場所を作るという感じになるのかな、とイメージしています。意図を読み違えているようでしたらご指摘いただけますと助かります。 -- かえで 2006年6月4日 (日) 12:17 (UTC)

査読依頼でのコメントの付け方についての提案[編集]

校正を除いた4つの作業、(査読)(検証)(書評)(感想)ですが、このWikipedia:査読依頼にかけられたときに、どの作業が行われたかを明らかにした方がいいのではないか、と思いました。

そこで、以下の提案を行いたいと思います。

  1. コメントを付けるとき、コメントの最初に(査読)(検証結果)(書評)(感想)のいずれかを書く。(ただし、この4つの区分でいいのか、またその名称についてなど、検討の余地があると思います)
  2. Wikipedia:査読依頼の冒頭に、「コメントを付ける人は、コメントの内容と自分の専門分野などから、この4つのうちにどれに当たるものかを判断し、明記するようお願いします。」という一文を付け加え、まず評者が自ら明記することを推奨する。
  3. 評者が明記していないものについては、査読を依頼した者あるいは第三者が、その内容からどれに当たるかを判断し、コメントの冒頭に補完してよい。

以上です。--Y tambe 2006年5月17日 (水) 11:27 (UTC)


尤もな提案ですが、評者にとって敷居が高くならないかが心配です。(3)番は、自分の発言にレッテルを貼られるようで快く思わない評者もいそうです。mononohazumi 2006年5月17日 (水) 12:31 (UTC)
義務づけなければそう敷居が高いものにはならないのではないでしょうか。他の人が補完するのは、Mononohazumiさんのご指摘される懸念もありますし、どうなのかなと思います。おたがいこだわらずに直すことができれば、問題ないのですけどね。--Aphaia 2006年5月18日 (木) 04:26 (UTC)
コメントありがとうございます。最初っから突っ込んだ話を始めちゃうのもどうかと思って、敢えて伏せていた部分もあるのですが、ご指摘の件に関係するので、以下に私見として述べます。
  • ここで挙げている、「査読」「検証結果」「書評」「感想」には、総じて大きく二つの役割があります。一つは (役割A)記事の正確性、妥当性を検証すること、もう一つは (役割B)他人の意見を取り入れて記事をブラッシュアップすることです。私は、今後ますますウィキペディアの記事に信頼性が問われる機会が増えていくだろうと考えており、このうちの前者(役割A)、すなわち記事の正確性と妥当性についての「品質評価」を如何に行っていくかが、今後の、しかしそう遠くない将来に要求される、大きな課題であると考えています。そのために「今」「ウィキペディアで」「何が実現可能なのか」という観点から、ノート:腸炎ビブリオでいくつか試行してみた上で、いろいろと考えてみました。
4つの区分のうち、査読はAとBの両方の役割を兼ね、検証は主に役割Aに、書評と感想は役割Bに、それぞれ重点を置いていると考えています。しかし、現在行われている査読依頼でのやりとりでは、査読や検証も時折行われながら、それが書評と感想、校正のやりとりに埋没しているのが現状です。おそらく、将来さまざまな方面から、正確性や妥当性の検証が要求されるであろうという予想の元に、そのときの作業をより円滑に進めるために、査読と検証の結果をピックアップしやすくする仕組みがあることが望ましいと考え、今回、査読依頼についての提案を行ったという次第です(もちろん、これに既に上で電気山羊さんが挙げている、記事のノートから査読へのリンクも連動して考えてます)
  • 上述のような目的のために、ではこのような見出し区分を付けるための方法として、二通りの路線を考えました。一つは、(1)ある程度の強制力を持たせて、コメント時に付けてもらう方法。もう一つは(2)強制力を緩めて、コメントを付ける人に推奨という形でお願いする代わりに、第三者による補完を許容化する方法です。第三の選択肢として、「コメントを付ける人が区分をつけてないものについては放置」という考えもあるかもしれませんが、そもそもの必要性から考えて、私はその選択肢は支持しません。
(1)と(2)のどちらにも一長一短がありますが、私は柔軟性が高いと思われる(2)の方法を提案しました。ただし、これにあたっては、Mononohazumiさんが指摘されたように、「レッテル貼り」と判断して快く思わない人が出る懸念がありましたので、むしろ敢えて、提案時に(3)として述べた文章を明文化しておいた方が、書かずに野放しで行われるより、後からもめ事が発生する恐れが少なく、また万一そのような人が現れたときにも「書いてある」ことを理由に、早期の問題解決が図れるのではないかと考えています。
次に「評者の負担が増えるのではないか」という、Mononohazumiさんの指摘についてですが、作業としては「文頭に数文字を書き加えるだけ」に過ぎない、という言い方もできるだろうし、私はむしろ逆に、負担を減らす効果があるのではないかと考えています。現在、この査読依頼では「専門家への査読の依頼」が行われたときに、「非専門家からのコメント」も付けられる状態になっています。この点については、特に問題を感じていはいませんが(少なくとも現在の活動状況を考える限り仕方がない)、実際にそのようなコメントを見ていただくと判るように、評者がその都度「専門家ではありませんが」「初心者から見た感想ですが」などのような形で断りを入れてから書き始める、という状況になっています。上で述べた目的だけから言えば、「査読」「検証結果」だけラベル付けすれば事足りることなのですが、「書評」「感想」と言った書き出しで始まる文章は非専門家によるものだ、という具合に形式化できれば、こういった「断りを入れる手間」がいくらか減らせるのではないか、と思っています(もっとも、コピペですむ手間でもあるし、Wikipedia:査読依頼/グレンコーの虐殺 20060518のように、評者の知識レベルを明記しておいた方が良いケースなど、あまり意味のない場合もあるわけですが)
以上が、「義務化、推奨、補完」に関する私の考えです。引き続き、忌憚ないご意見をいただけるとうれしいです。--Y tambe 2006年5月19日 (金) 09:56 (UTC)
査読依頼のサブページ用原稿として、あらかじめ【査読】【検証】【書評】【感想】【校正】の節を切ったテンプレートを用意してみてはいかがでしょうか。そうすれば、査読結果を書く人は節【査読】に、感想を書く人は節【感想】に……と書けるので、書き手も読み手も迷わずにすむかもしれません。できるだけ「サブページだけをみて、すぐにルールが把握できる状態」である方が混乱しないと思いますので、このあたりが落としどころかな、と思います(もちろん確信はありませんが……)。 -- かえで 2006年5月24日 (水) 01:34 (UTC) -- 【校正】を追記しました。 -- かえで 2006年5月28日 (日) 09:41 (UTC)
私が敷居が高くならないかと心配したのも主に「注意書きを読む手間」のことなので、かえでさんの案は良いと思います。mononohazumi 2006年5月24日 (水) 21:25 (UTC) この次に書いてあった文章を上のセクションに移動させました。これに伴い署名も補足--Y tambe 2006年5月26日 (金) 03:35 (UTC)
これはいいアイデアですね。この方式であれば、コメントをつける人の手間を最小限にした上に、自分のコメントをどれかに区分することの義務化も、同時に自動的に行えそうです(であれば、上で挙げた「他の人による〜」の問題もなくなりますし)。一方、デメリットとして、依頼するときの手間がいくらか増える、という点もあるかと思いますが、トータルで考えるとメリットが大きいと思います。私もこのかえでさんの案に乗り換えます。--Y tambe 2006年5月26日 (金) 09:27 (UTC)

試験的にWikipedia:査読依頼/カトリック陰謀事件 20060608でやってみました。これの使われ方が、ひとつの参考になればと思います。--S kitahashi(Plé)2006年6月8日 (木) 07:48 (UTC)

ひとまず一行解説(アレで良いのかどうかはまだ不明です)を追記させていただき、試しに書評(?)を書かせていただきました。Wikipedia:査読依頼にサブページが展開表示されてしまうので、長い説明が書けないのは厳しいですね。節「利用の仕方」に詳細を書いて、サブページでは項目名のみ(一行説明も省く)とするほうが良いのかも……。私が書いた一行説明は除去or書き換えしていただいてかまいませんので、色々試行していただけますと幸いです。 -- かえで 2006年6月8日 (木) 12:58 (UTC)
【その他】を付け加えて校正面での指摘をしました。4つに当てはまらないものを受け止める節を設けること自体では意見が一致していたと思います。mononohazumi 2006年6月8日 (木) 20:48 (UTC)
実際に運用してみて始めて解ることは多いですね……最終的にはどうしても5節全て必要になりますね。【査読依頼】の定義は「査読・検証・書評・感想・その他(校正含む)の結果を表明する場所」ということで良いでしょうか、まず皆様に、この点のご確認をお願いいたします。次に、【校正依頼】の新設も必要だと感じました。校正作業は「その場で文章を書き換える作業」なので、校正の度に版が進んでしまうという性質を持っています。この性質は、できるだけ改版進行が遅い方が望ましい「査読・検証・書評・感想」とは真逆のものですので、依頼者・執筆者・校正者・意見表明者の何れにとっても「先に一揃いの校正が済んでいる状態が望ましい」かと思います。この点についてもご確認をお願いいたします。 -- かえで 2006年6月9日 (金) 13:43 (UTC)

(インデント戻します)反応が遅れてすみませんでした。実際に運用しているのをみると、確かにいろいろな部分が見えますね。まず、かえでさんが確認をもとめておられます「5つ必要である」という点について、私も確かに必要であると思いました。また、後半の「先に一揃いの校正が済んでいる状態が望ましい」という点についても同意です。ただし、この点については、実現可能性を考えると、少なくとも当分は「望ましい」という程度になるでしょうね。

それから、もう一点気付いた点ですが、おそらく当分の間は、「査読」「検証」の部分についてはコメントが得られないケースが多いことが予想されるので、もしかしたら「この部分は無駄ではないか/目障りだ」という疑問や印象を持つ人が現れるかもしれないな、と思いました。ただし、この部分について私は、(1)「この記事について、査読/検証が『まだ』行われていない」ということを明確に示すことは、品質評価の点で望ましいことである、(2)査読や検証の部分が空欄になっていることで、逆にそのような評価を促進する効果も期待できるのではないか、という理由から、現在の方式で、査読や検証が付く/付かないに関わらず、小見出しを設ける方針を支持することを、あらかじめ意見表明しておきます。--Y tambe 2006年6月13日 (火) 15:19 (UTC)

「査読」「検証」が使われないケースが多そうだ、という点は同感です。ウィキペディアの読者に専門家の水準にある人がいないわけではないでしょうが、そういう人はすでに査読対象の記事の執筆に関わってしまっていることが多く、「自分も執筆に関わった記事を査読するのは客観性の点でおかしいのではないか」という懸念から二の足を踏んでしまうのではないでしょうか。
あまり使われなくとも「査読」「検証」の欄を設けるべきだ、という点も同感です。理念上無くすわけにはいかないでしょう。
5つ全部必要か、という点では意見が異なります。「書評」と「感想」は使われ方を見ていると違いが明確でないので一緒にしてしまっていいように思います。助言を行なうのが書評で行なわないのが感想という定義ですが、査読依頼の性質上まったく助言のない純然たる感想が書きこまれることは少なそうです。
mononohazumi 2006年6月13日 (火) 20:59 (UTC)
「査読・検証」の件、確かに当初は有効活用されない可能性は高そうですね……もしも不要論が噴出した際には、今回の議論を参照いただくよう誘導すれば大丈夫かと思います。それと、「未完の証明としても役立つ」というのは重要なところですね。今までは分別なく羅列されていて「全文を読まなければ査読・検証が行われたかどうかわからなかった」ことと比べて、確実に使いやすく&解りやすくなっているかと。「感想」については「特に指摘すべきところがなく、かつ賛意を表したい」ときに使えるので、実は結構役立つ可能性があるかと思います。具体的な例として、一切助言を含まず書いてしまったWikipedia:査読依頼/山口弁_20060606をご覧いただければ、と思います。「単なる感想だけを書いてもいいですよ」という姿勢を明確に示しておくことによって、より敷居を低くする効果があるかな、と。 -- かえで 2006年6月14日 (水) 14:33 (UTC)

本文にテンプレートを表示する提案[編集]

時々ノートではなく本文に{{査読依頼}}が貼ってある記事がありますが、むしろそちらのほうがいいように思います。当該の記事が査読依頼に出ていることを知らずに通り過ぎてしまう方(特にIPユーザーの方など)がけっこういるみたいで…。査読依頼が活発に活用されるためにも、間口を広くとってみてはどうかと思います。その際は、査読依頼テンプレートのサイズを小さくしたほうがいいかもしれません。みなさんのお考えはいかがでしょうか。--S kitahashi(Plé)2006年5月23日 (火) 17:04 (UTC)

私が知る限りでは、親指シフト 2005年12月31日 (土) 03:19 の版あたりが該当します。主執筆者が{{査読依頼}}を貼る場合は、こういう形で記事本体に貼る方がわかりやすくて良いですね。小さいテンプレートがあると便利なものの、おそらくは大きなテンプレートの方が需要があると思います。 -- かえで 2006年5月24日 (水) 01:34 (UTC)
ノートページを覗く人が大多数ならばそのままノートページで議論が活発化して査読依頼自体が不要になりそうなものですものね。私も本文に貼るのが良いと思います。mononohazumi 2006年5月24日 (水) 21:30 (UTC)
本文に貼ることに賛成します。関連性のある議論としてTemplate‐ノート:秀逸を提示しておきます。リンク先の議論では、最終的に秀逸テンプレートをノートに貼る方針への合意がなされていますが、ノートに貼ること、本文に貼ることのそれぞれに長所短所があることについても触れられています。この議論を加味した上でも、査読依頼の場合はテンプレートの掲示が永続しないことなどを考慮すれば、他の連絡用テンプレートと同様に、本文に張ることは差し支えないし、むしろ期待できるメリットが大きいというのが、私の判断です。--Y tambe 2006年5月26日 (金) 09:13 (UTC)

かえでさん、mononohazumiさんありがとうございます。では6月1日発効という方向で、ルール改正を行います。--S kitahashi(Plé)2006年5月25日 (木) 14:20 (UTC) 利用者:S_kitahashi/ドラフト3に、試案として作ってみました。なるべく主役である本文を食ってしまわないよう控えめに、というコンセプト(というほどのものでもないですが)です。いかがなもんでしょうか。--S kitahashi(Plé)2006年5月26日 (金) 04:18 (UTC)

テンプレート案の作成お疲れ様です。Wikipedia:Template メッセージの一覧/メンテナンスを見ると、大きな文字は117%・小さな文字は無指定(100%)になっていて、枠全体の幅指定は無し……というスタイルが多いようですので、(いくつかを並べたときに目立つ恐れを防ぐために)これらと揃えるのが無難かと思います。枠内のアイコンおよび表記に関しては、ぜひそのままで行きたいですね。 -- かえで 2006年5月28日 (日) 09:41 (UTC)
ご指摘ありがとうございます。文字サイズ100%にすると大きいテンプレートになってしまう点が、ちょっと躊躇するところです。本文に貼るものなので、大きいと目障りかな…と。そのあたり、周囲のみなさんに受け入れられるなら100%にしてみます。--S kitahashi(Plé)2006年5月28日 (日) 09:50 (UTC)
なるほど……そうしますと、{{査読依頼S}}として、文字サイズ80%の「案4」を新規に設定する&従来の{{査読依頼}}は100%定義の今回フォーマットにする、というあたりになりそうでしょうか。確かに、他の方からももっとご意見をお伺いしたいです。 -- かえで 2006年5月28日 (日) 10:00 (UTC)
そもそも査読が終わったら除去するものですし、広く査読への参加を募る意味からもあえて小さくする必要は無いのではないでしょうか。他のテンプレートと揃えるのが無難だと思います。mononohazumi 2006年5月28日 (日) 10:25 (UTC)

インデント戻します。S用に案7を追加しました。mononohazumiさんのように考える方はほかにもいらっしゃるでしょうし、一方に絞る必要はかならずしもないかも。依頼者が選ぶということにしてもいいかもしれませんね。--S kitahashi(Plé)2006年5月28日 (日) 10:31 (UTC)

「案6」「案7」を拝見しました。前者は普通テンプレートと、後者は縮小テンプレートと並べて違和感がないようで、この2つの案で良さそうですね。縮小テンプレートについては「文字が読みづらい(私は目が良くないので特にそう感じる)・インパクトが足りない」気はするのですが、逆に「大きなテンプレートは本文に貼りたくないが、小さなテンプレートならば本文に貼ってみたい」と考える方も居るかな……と。まずは「査読依頼」という仕掛けそのものを、より身近に使っていただくことが重要かと思いますので、テンプレートのサイズは(より多くの要求に応えられるように)2つ用意しておく方が良いかと思います。 -- かえで 2006年5月28日 (日) 15:03 (UTC)

差し替えました[編集]

案6→{{査読依頼}}、案7→{{査読依頼S}}として、ノートにあった査読依頼テンプレートは本文に移動させました。引き続きコメント等あれば、お願いいたします。--S kitahashi(Plé)2006年6月1日 (木) 03:57 (UTC)

早速、新テンプレートを採用したPortable Document Formatクイーン (バンド)を見てみました。どちらも守備範囲外なのでコメントできそうにはないのですが、両者共に大きなテンプレートが使われているようですね。Wikipediaの利用者が「執筆者」へと転向するための良いきっかけとなりそうで、今後が楽しみになってきました。運用上の問題が発生しない限りは、このまま行く方が良さそうに思います。 -- かえで 2006年6月4日 (日) 12:06 (UTC)

「査読・検証・書評・感想・その他」の定型文をsubstで記述する提案[編集]

先ほどWikipedia:査読依頼/親指シフト_20060611を書いてみたのですが、Wikipedia:査読依頼/カトリック陰謀事件 20060608の版「2006-06-09 11:40:54(UTC)」からスタイルをコピーする過程で要約欄に不備があるまま投稿してしまい、延々と対策を求めてWikipedia内を探し回ることとなってしまいました……。こういった面倒を回避しつつ記述を簡易化するために「Template:査読依頼」を作成して、依頼者は

=== [[○○○]] - [[ノート:○○○|ノート]] ===
(何か適当な依頼文)~~~~
{{subst:査読依頼}}

と記述するだけで済むようにすると良いのではないかと思うのですが、これで良いのかどうかが不明でして、出来ればご意見をお伺いしたく思います。 -- かえで 2006年6月10日 (土) 18:12 (UTC)

反応遅れてすみませんでした。僕もテンプレートを作ったことがないので、正直よく判らないのですが、方式的にも、また査読を頼むときにかかる手数からも、この方法がいちばんよいのではないかと思います。ただ、Template:査読依頼はすでにありますので、別の名称(Template:査読とか、Template:Reviewとかくらい?)にする必要があるかと。--Y tambe 2006年6月13日 (火) 15:05 (UTC)
Template:査読やTemplate:ReviewではTemplate:査読依頼とどちらがどちらだったか分からなくなりそうなので、Template:査読欄とでもしたほうがよいと思います。覚えておかなくても名前で区別が付くように。mononohazumi 2006年6月13日 (火) 20:59 (UTC)
利用者:S kitahashi/査読欄で作ってみましたが、これで十分なように思いますがいかがでしょうか。{{subst:利用者:S kitahashi/査読欄}}で使ってみると、どんなふうになるかわかるかと思います。S kitahashi(Plé)2006年6月13日 (火) 21:10 (UTC)
あっ、既に同名のテンプレートがありましたか(汗)。そうすると、提示いただいた「査読欄」が良さそうですね。{{subst:利用者:S kitahashi/査読欄}}、試しにプレビューしてみましたが、これで良さそうに思います。このテンプレート案についても、採用して良いようでしたら早速試行しておきたいですね。 -- かえで 2006年6月14日 (水) 14:33 (UTC)
テンプレートをお借りしました。---Redattore 2006年6月14日 (水) 16:10 (UTC)

Template:査読欄に移動させました。使う時はsubstをお願いします。S kitahashi(Plé)2006年9月1日 (金) 09:22 (UTC)

査読期間に関する提案[編集]

査読依頼の期間についてです。現在1ヶ月となっており、議論が続いているものは慣習的に残していますが、なんらかの明文化があってもいいのではないかと思います。↓に改正案の叩き台を用意しますので、ご批判・ご検討いただければと思います。S kitahashi(Plé)2006年6月20日 (火) 20:38 (UTC)

  1. 査読期間は原則1ヶ月とする。
  2. コメントが寄せられ議論が続いているものは、最後の発言から10日間、終了を猶予する。
  3. コメントを受けて当該記事に有意な編集があった場合も、最後の編集から10日間、終了を猶予する。
  4. 何のコメントもつかない査読依頼は、2ヶ月を限度として、終了を猶予する。


「査読期間は原則2ヶ月。ただし、コメントが一つ以上付き、かつ議論も編集もされていないものは、査読開始から1ヶ月を経過した時点で除去します」とも表記可能かな、と思いました(注:表現にこだわるつもりはなく、単なる言い換えの話です)。いずれにせよ明文化しておく方が良いと思います。 -- かえで 2006年6月21日 (水) 11:46 (UTC)
……しまった、↑では「同じ」ではないですね。言い換え部分については気になさらないでください。 -- かえで 2006年6月21日 (水) 11:48 (UTC)
ご指摘ありがとうございます。↓のようにしてみましたが、いかがでしょうか。

  1. 査読期間は原則2ヶ月とする。
  2. コメントが寄せられ議論が続いているものは、最後の発言から10日間、終了を猶予する。
  3. コメントを受けて当該記事に有意な編集があった場合も、最後の編集から10日間、終了を猶予する。
  4. コメントが寄せられているにも関わらず有意な編集のない依頼は、依頼開始後1ヶ月の早期終了を宣言できる。

特に反対意見等なければ、7月1日施行の方向でやってみたいと思います。S kitahashi(Plé)2006年6月25日 (日) 22:40 (UTC)

すっかり遅くなってしまいましたが、ルールとして追加しました。S kitahashi(Plé)2006年7月9日 (日) 10:21 (UTC)

査読、批評の位置づけについて[編集]

最近、この査読依頼に出される記事が増えて来ています。このことについては、問題ないというか、むしろ望ましい方向性だと思っています。しかし、一点気がかりなことがあるので、皆さんにご相談させていただきたいと思います。

ここ何回かに依頼が出された項目について見てみますと、まだとても査読や批評を出す段階とは思いにくいもの、場合によっては内容上の問題から論争状態にあるものも見受けられるようです。また実際に依頼が出されるときの文章も「現在の版に私は不満があるが、他の人の意見も聞きたい」という場合がよく見られます。はっきり言ってしまうと、論争などを有利に進めるための材料の一つとして同じ意見を求める場として、査読依頼を利用しようとする流れが出来つつあるのではないか、と危惧しています。

確かに、現状の文面では、依頼の敷居を下げるために、このような性質の依頼について排除するような内容はありません。しかし、この流れは査読依頼そのものの信頼性を失わせる可能性があり、できれば早いうち、大きな流れになってしまわないうちに対処する必要があるのではないかと考えています。

私の考えでは、そもそも査読や批評は、自分自身で思いつく限りの改良点を探し出し、それをすべて(とは言わないまでもほとんどは)改良しおえた記事について出すものであると位置づけています。少なくとも依頼者は、依頼を出した版の内容について大きな問題はない、と考えているのが前提であり、いわばその版の内容を支持する者として依頼をするものだと。それに対して第三者が査読/批評/感想を付ける、という位置づけなのであると。ところが先に挙げた例では、依頼者自体が率先して「批評」するため、支持する側が不在のままで形式だけの品質評価のプロセスが行われるという、異様な状況になってしまいます。これは査読依頼を「記事の最終的な品質評価」として機能させるという目的を阻害しかねません。

とりあえずこのような依頼については、(1)まずは通常の手順通り、当該記事のノートで執筆者同士での議論を行うこと、(2)当事者間の結論が出ない場合は、この査読依頼ではなく、Wikipedia:コメント依頼もしくはWikipedia:井戸端で、第三者の議論参加を呼びかけること、を示し、依頼を出された方に議論の場を移動することをお願いする、という対処を行っていきたいと思っています。もし個別対処でキリがないようであれば、(できれば依頼の敷居を下げる目的からは避けたいところですが)依頼時に読む文面への記載も検討した方がいいだろうか、と思っています。

もちろん、この考え方はあくまで、私の抱くウィキペディアの記事の品質評価と、それに対する査読依頼の位置づけに立脚したものですから、他の意見をお持ちの方も多いだろうことは承知しております。そこで、是非皆さんのご意見をお聞かせ願いたいと思っております。ただ、特定の記事の現状だけといった視点におさめず、ウィキペディア全体のことを広く考えた上で、総合的な議論を行えれば幸いです。--Y tambe 2006年6月25日 (日) 04:14 (UTC)

すみません。ファイストスの円盤については一番重要だとされている文献を入手できていませんし、文字成立の歴史の中での円盤の位置付けも書けていません。線文字A、線文字Bとの関連性についても記述があまりにも薄いのは分かっていました。文字の形とクレタ文化が輸入説の最大の根拠なのに、これも書いていません。もう少し完成してから提出すべきでしたね。---Redattore 2006年6月25日 (日) 05:11 (UTC)
ファイストスの円盤は査読依頼へと提出する要件を満たしているように思います……これはKotoitoさんによる書評にも現れているようですし。 -- かえで 2006年6月25日 (日) 07:00 (UTC)
  • 「記事の最終的な品質評価」の場は、Wikipedia:秀逸な記事の選考だと理解しています。
  • 論争状態にあるものについては、Wikipedia:コメント依頼のサブページへ移動して、そちらへ回すことにしてはどうでしょう。
  • ここでは、(1) 依頼者が「私が見るかぎり、もう何の問題も残っていない」と考えた場合だけでなく、(2) 問題はあるが、その解決の方法としてA案、B案があるが、どちらがよいか決断できない場合、または、(3) 解決の方法が思いつかない場合、さらに、(4) 個人的には現在の版に不満があり、書き換えたいと考えているが、そもそも現在の版が自分が思っているほどには不適切ではないときは無駄(最悪の場合は、論争)になってしまうので、事前にその点を確認しておきたいという場合についても、ここを利用すれば良いと思います。確かに(1)以外は、「査読依頼」という名称からは逸脱しているのは事実です。しかし、この仕組みは、「項目をより良くするために他人の意見が欲しいとき」に利用するためのもののはずです。ですから、いっそのこと「助言募集」とかにしてはどうかとも思います。(1) についても、自分としては何の問題もないと思うが、第三者から見て足りない部分、問題のある部分を教えて欲しい、という意味で「助言の募集」にあたりますよね。--oxhop 2006年6月25日 (日) 05:44 (UTC)
「現在の版に私は不満があるが、他の人の意見も聞きたい」という表現を用いますと、(適用される範囲が非常に広く)論争のあるなしに関わらずほとんどの依頼案件が絡んでしまうので、より狭い条件を提示する必要があるように思います。たとえば節「利用の仕方」に小節「論争中の記事に関する依頼について」を新設し、論争案件に関してのみ別の場所へと案内するようなカタチで。時間は掛かりますが、一つ一つ問題を分離していく方が良いと思います(もちろん「校正依頼」の将来的な分離も含めて)。今はWikipedia:査読依頼がごった煮的な状況になっていますが、一つ一つ問題を分離・解決していき、将来的にはWikipedia:査読依頼が「Wikipediaにおける品質評価のポータルページ」になれるよう、これからゆっくりと問題を解決していくのが良いのではないかと思います。 -- かえで 2006年6月25日 (日) 07:00 (UTC)
記事のリリースと依頼系の役割(私案)
記事のリリースと依頼系の役割(私案)

コメントありがとうございます。ちょっと自分の意図を文章だけでうまく説明できるかどうか自信がないので、(時期尚早だよなあ、とは思いつつも)今頭の中で考えているスキームを図示します。なお、

  1. あくまで私案であること
  2. 実現可能性については考慮しきっていない部分があること
  3. あくまで将来的な構想であって、近日中に実現するとは思っていないこと

以上、念のため申し添えておきます。

以下はコメントに対する返事です。

  • ファイストスの円盤に関連してですが、私はこの記事については、かえでさんと同様、上で挙げた例に当たるとは考えていません。「どうしても近日中に実現ができない部分」については、保留した上であえて先に進めるというのも、あるべき選択肢の一つだと思いますし、その際にその「残っている問題点」を自ら明記されておられる点は、私も見習わなければならないと思いました。実際、一定以上のレベルに達した記事であれば、今回ご指摘になったような作業をブラッシュアップと並行して進めることも可能だと思います。
  • Oxhopさんの指摘されている、「記事の最終的な品質評価の場は、Wikipedia:秀逸な記事の選考で」という点についてですが、正直言うと、これを実施するには軌道修正せねばならない部分が大きすぎて実現可能性に劣るだろう、というのが私の考えです。そちらには「秀逸」という響きから「ウィキペディアの記事の代表」になりうるような模範性なども要求され、さらに選考システムにも人気投票的性質が反映されてしまっている現状があります。そういう路線で行くのは、それはそれで構わないと思うのですが、むしろウィキペディアの多くの記事にとって本当に必要なのは「秀でてはいなくてもいいから、一定以上の品質が保証されていること」の方であり、そういう記事を「多く」作ることも大事だろうというのが、私の考えです。右図でいえば、多くの記事について「バージョン1.0」と呼べる安定版を作ることです。確かに「秀逸な記事」とそれは同じでも構いませんが、現在の「秀逸」についてのイメージを考える限り、ある程度、別物と割り切って進めた上で、秀逸はそれら「バージョン1.0」の中でも特に代表的かつ模範的なもの、という位置づけに進めて行く方が、受け入れられやすいのではないかと思ってます。
  • Oxhopさんが指摘されている「助言募集」という割り方についてですが、右図を示すことで「整理/修正/コメント依頼」と「査読依頼」の位置づけについての私の考え方が、ご理解いただけるのでないかと思います。一般的な「助言」であれば、この査読依頼以外にも行うことができる場がすでに用意されているのですから、むしろそちらで行う方が、依頼する側もされる側も、また査読依頼と他の依頼系ページとの役割分担(にぎわい)も、いずれもHappyになるのではないかと思っています。しかしながら、この手の「依頼場所」で、さまざまな依頼が混在するのは、あらかじめ予想しておかねばならない、いわば当然のことでもありますので、そういった依頼については、個別にうまく対処して問題解決に導くなり、もっと適した場に誘導するなりの対処が必要になるでしょうね。その際、できるだけ依頼する側も誘導する側も、いらぬ問題を確執を起こさないようにするには、どうするのがいいのだろうか? という疑問が、このセクションで質問をしたそもそもの発端です。
  • その上で、かえでさんがおっしゃっておられる「一つ一つ問題を分離し」「ゆっくりと問題を解決していく」という点について、強く同意いたします。本心を言うと、私もあまりユーザーの行動を縛ってしまうような「規定の文書化」をしたくはなくて、なんと言うか、「査読依頼」という、その場の雰囲気を上手く作り上げることで対処していけないかな、と思ってる次第です。すでにかえでさんがいくつかの記事でなさっているような誘導の仕方は、その点ですごく上手くやっているなあという印象を持っています。もし、これまでの対処において、特に注意している点や、気付いた点などありましたら、時間のあるときにでも結構ですので、ご教示いただければと思っています。

以上です。--Y tambe 2006年6月26日 (月) 11:47 (UTC)

分かりやすい図示をありがとうございます。図のようなイメージで溜っている依頼を処理できればと思います。私も誘導を活用してみようと思います。S kitahashi(Plé)2006年6月26日 (月) 15:37 (UTC)
依頼系のつながり具合がきれいに読み取れる図表というものを、始めて拝見した気がします。拝見してまず「いままで他の依頼系ページをうまく活用できていなかった」ことに気づきました。これを思わずテキスト化してしまいましたが、だいぶ色を付けすぎた気がしています……もっと端的に書ければいいのですが、どうも私には難しい作業の様です。特に注意している点は……記述の偏りについては「参考文献を元に」と提示しますが、他は基本的に「自分が誤読していると仮定して、断定調よりも問いかけ調に近い形でコメントする」&「何度も推敲して誤読されうる文を排除してからコメントする」あたりでしょうか。どうしても実際の会話と違って「長文が書きやすい・やりとりには時間が掛かる→一度こじれると元に戻すことが困難になる」傾向があるので、色々な立場になったつもりで自己査読している「つもり」でいます(それでも失敗することはままあります……なかなか難しいですね)。 -- かえで 2006年6月26日 (月) 17:30 (UTC)
  • 図のおかげで、Y tambeさんの意図されている方向性がようやく分かってきました。
  • 「秀逸な記事」は、「ウィキペディアの記事の代表」ではあっても、残念ながら、多くの編集者にとっての「模範」にはなりえないと考えています。むしろ、模範になるのは、Y tambeさんのおっしゃる「『バージョン1.0』と呼べる安定版」、つまり、「秀でてはいなくてもいいから、一定以上の品質が保証されている」記事の方だと思います。ですからそのような記事を集め、リストアップすることは、執筆する場合の参考としても、また、執筆の励みとしても、大いに役立つと思います。ですから、Y tambeさんやかえでさんがお考えのような、品質評価の場として特化された仕組みを作ろうという方向性に関しては私も賛成です。Wikipedia‐ノート:秀逸な記事の選考#「良い記事の選考」において紹介されている利用者:Suisui/良い記事の選考にも同趣旨の案がありますね。欲を言えばこの場合は、「査読」なんて不明確な言葉を使わないで、ズバリ「品質評価」「品質審査」にしてしまって欲しいところです。
  • 品質評価以前の状態においては、既に用意されている依頼系ページが使えるのであれば、そちらを活用すべきだという点についても、その通りだと思います。しかし、次の2点については異義があります。
    • コメント依頼は、論争の解決の2ステップ目として用意されている仕組みですので、論争状態になっていないものに関する相談という異質なものにまで対象を広げてしまうと、仕組み的に分かりにくくなってしまいます。ですから、あくまでも、論争状態になっていることを条件とすべきだと思います。
    • 既に用意されている依頼系ページではカバーしきれないケースに利用する場を用意すべきだろうと思います。これまで、査読依頼に出されたものの多くは、まだ不足のある状態であることは承知の上で、しかし、各種依頼に出せる程どの点が足りないのか判断できない、あるいは、依頼に出さずに自分でなんとかしたいというものだったのではないでしょうか。こういう記事内容充実化を目指す人たちの相談の場として、「編集相談室(仮称)」が、品質チェックの場や各種依頼ページとは別にあるべきだろうと思います(この「査読依頼」が最初に作られた目的はむしろこちらだと私は理解していました)。また、記事のノートで相談しても、返事がもらえないと井戸端へ投稿されることもしばしばありますが、そういうのもこちらに吸収したいし、告知や適切な依頼ページへの誘導の場としても利用可能だろうと思います。「編集相談室(仮称)」は、ウィキペディア全般の話題を扱う井戸端に対して、個別記事を対象とした相談場所と捉えています(各分野に関しては、ウィキプロジェクトやポータルがあります)。どう思われますか? --oxhop 2006年6月27日 (火) 13:14 (UTC)
コメントありがとうございます。以下、回答順が前後します。
執筆途中の段階で他の人の意見を求めたい、というニーズがあるのではないかという指摘ですが、これは私もおっしゃるとおりだと思いました。実際、Wikipedia:査読依頼/中標津町 20060622でのやりとりからも、そういうニーズに応えるのに適当な場所に困窮しているように思います。本来ならば、恐らく人の目がもっとも多いところの一つだろう、Wikipedia:井戸端でその手の作業(井戸端で呼び込み、実際の議論はノートで)が行えるのがベストだとは思うのですが……まぁ現状から考えて、二の足を踏む人も多そうです。Wikipedia:コメント依頼の利用法についても、現状については納得しました。……まぁ「コメント依頼」という名を関している以上はそっちに受け皿を用意できないかな、とは思わなくはないですが、「編集相談室」「議論へのコメント依頼」「アドバイス依頼」など、その手の場所を別途設ける方がいいのかもしれませんね。
で、査読/品質評価についてですが、上の#2つの提案で呼びかけたそもそものきっかけは、「『査読』という名を冠してるところがあるのに、見てみたら査読なんかやってないじゃん」という状況を、早いうちに何とか取り繕う対処する必要があると感じたところにあります。
しかし一方で、じゃあ「査読」を名乗らなきゃいいじゃん、というのは、それはそれで問題があります。恐らく、査読は一般の人にとっては耳慣れない言葉だし、別の言葉を使う方が通りはよいのでしょうが、しかし「仮にも百科事典編纂を名乗る」以上は、無視しちゃいけない重要な事柄だ、というのが私の認識です。実際、ウィキペディアの記事の品質についてのクレームの一つに「査読 peer-review がないので信頼できない」というのが挙げられるくらいだし、私も専門家的観点から見ると、その一点のみで信憑性に疑問を感じるわけです。この点はウィキペディア全体の問題でもあるので、「検証可能性」を軸に据えた新しい品質評価システムの実現性が、今まさに英語版で試されており、少し前にはNature誌でブリタニカとの比較が報告はされましたが……正直言うと、あの一報告だけでWikipedia的品質評価システムの有意性が証明されたと思うのは時期尚早で、今はまだ査読システムの優位性に揺るぎはない、と思ってます。結局のところ、まだ「査読がない」ものについて、ほとんどの専門家は信頼しないだろう、ということです。
しかしウィキペディアではその査読が見込めないというのが現状なのは、動かしがたい事実だと思ってます。でも、だからといって「査読なんてなくていい」で済ませて、出来ることをしないのも怠慢だろうな、と。実際に査読が行われるかどうかは、それは参加する人的リソースに依存しますが、少なくともそのために「評価の場を準備する」という努力はできるだろう、と。そのための場として、名が体を表していなかった「査読依頼」の再構築を行おうとしてるというのが、上の#2つの提案以降の私の行動原理です。加えていうなら、もしかしたら将来、検証性を軸にした品質評価システムが認められるようになり、この査読依頼は利用されなくなるかもと思ってもいますが、でもまぁ「品質評価」を複数の方法でやるのは悪いことではなく、むしろ望ましいことだとも思ってますので、査読そのものの価値が失われることはないだろうと。
まぁ大体はこのような考えでして。ここで「査読」という言葉を使っていくことには、それ自体に意味があると考えてる次第です。もう少し付け加えるなら、私は普段行ってる論文投稿なんかの関係で「査読」という方が、「品質評価」という一見分かりやすいようでいて、実は何を基準にしてるのか判らない言葉よりも、具体的に感じちゃうんで、もしかしたらその辺の感覚が私に影響してるのかもしれません。
また、査読依頼と非専門家の「批評」(「批判」を連想させやすい「批」を使いたくなくて「書評」としていましたが……「講評」あたりだとどうでしょうかね?)を分けるべきというのは、確かに正しいのですが……まぁそこを押してしまうと、この「査読依頼」そのものの不要論につながりかねないため、避けたいところです。そういう実現可能性的な問題から、むしろ今の段階では一緒くたで進めた方がいいのではないかと。ただし、評価内容自体が査読か、そうでないかの混同があってはまずいので……というところから#2つの提案の2つ目の、「見出しをつける」につながってます。
コメントが錯綜してしまって申し訳ありませんが、とりあえずは以上です。--Y tambe 2006年6月28日 (水) 11:23 (UTC)

査読依頼の説明として「項目をより良くするために他人の意見が欲しいとき」とか「ここで受けた批評を」などとあります。これでは、コメント(意見・批評)がほしいときに依頼するところと思うのが普通だと思います。コメント依頼とどう違うのかがまったくわかりません。査読というのはやはり学術誌などにおいて専門家が行うものだと思います。上記の説明は「専門家の意見がほしいとき」と書くのが正しいです。みずから説明している査読と異なる用法はどうかと思います。以下、私の考えや気が付いたことを述べます。

  • コメント依頼の説明を読むと、これは事実上の「議論参加依頼」となっているように思います。であるならば、そういう項目名にしたほうがいい。「議論へのコメント依頼」など。
  • 現在の査読依頼には【査読】【検証】【書評】等の小項目がつけられましたが、これをイキにするのであれば、これこそ「コメント依頼」とすべき。しかしながら、現実には専門家による査読はむずかしいため、【査読】を除外し、「(記事の)評価依頼」などのようにするのが適当かと思います(【査読】はあってもいいけど)。これであるならば、記事が完成していなくともコメントを求められる(とはいっても、ある程度まとまってから評価に出してくれなどの要望は必要でしょう。スタブ未満のものを「どうしたらいいでしょうか」などといわれても困るので、そういう注意書きは必須)。
  • 「依頼系フロー」の図で示されている「校正依頼」ですが、「校正」は字の誤りなどをモト原稿とつき合わせて正しくすることです。内容にまでは踏み込みません(実際にはまったくそんなことはないかというと、そうでもないですが)し、そもそもウィキにモト原稿などは存在しません。もしも内容まで踏み込んで修整・修正してほしければ、それは「校閲」と言いますので、「校閲依頼」とするのがより適当と思われます。
  • 現在の修正依頼ですが、「冗長すぎて読みにくい」などの点を整えることも含まれています。であるならば、これは「修整依頼」とするのが正しい。しかしながら整理依頼と区別がつかないため、「中立性に問題がある」「正確さに疑問がある」「偏見にあふれている」などについては「(内容についての)修正依頼」、「冗長だ」などのことは「(文章全体の)整理依頼」とし、明確にではなくともおよそ区別できるようにする。

まとめると、依頼系は以下のようにまとめられるかと思います(言うまでもなく項目名は仮です)。

★記事作りへの参加依頼(自分ではどうにもならないから他人に頼みたい)

  • 書いてくれ・提供してくれ系
    • 執筆依頼
    • 翻訳依頼
    • 加筆依頼
    • 画像提供依頼
  • 編集してくれ系
    • 整理依頼(主に文章に問題あり)
    • 修正依頼(主に内容に問題あり)
    • 校閲依頼(問題があるかどうかわからないが、読んでみてまずかったら手を入れてほしい)

★助言依頼(必ずしも記事作りに参加してはいけないということはないが、記事作りへの参加依頼ではない)

  • 議論へのコメント依頼
  • 評価依頼(議論があるものは原則として自粛してもらう。参加を求めるなら校閲依頼へ)
    • 査読(専門家よる審査・批評・コメント)
    • 批評(専門家以外による内容全体へのコメント・評価)(「書評」は書物に対して言うものなので不適切です)
    • 感想(記事全体を把握してなくとも可。専門家が感想を述べても可だし、記事分野についてまったく知らない人でも可)
    • 検証(主にデータ等の正確性のみについて触れたければここへ)
    • その他(表記・文体など、上記以外の細部のみに気づいたことがあれば)
  • 統合依頼

いかがでしょうか。なんだか、考えもなしに校閲依頼に放り込んで、あとは知らんというのが多くなりそうではありますが。222.158.91.164 2006年6月27日 (火) 19:08 (UTC)

コメントどうもありがとうございます。まず誤解なさらないようお願いしたいのですが、上に挙げた図はあくまで、私の描く将来的な私案であって、少なくとも今の段階で依頼系ページの役割分担の割り振りを議論してどうこうしよう、というつもりは私にはありません。また、もしこの手の依頼系ページ再編をやろうというのであれば、ここにいる人数だけで進めるわけにもいかないことですから、なおさら実現可能性が低くなるというか、まずは実現可能な部分だけから詰めて行きたい、というのが正直なところです。図示するとき「時期尚早かも」と言ったのは、図示することで全体の再編に思いを向ける人の、気を焦らせてしまうかも、ということを危惧してたためで、その危惧が当たっちゃったかなと、少し後悔してたりします。しかしながら同時に、将来構想を見据えて、このような意見を提示して下さる方がいることを非常に力強く思いました。
とりあえず、現時点で私が「いま出来る(出来そうな)こと」として考えているのは、上で#2つの提案として挙げた、(1)Wikipedia:校正依頼の新設と、(2)この査読依頼に分類のための小見出しを付けること、の2つです。できましたら、そちらの方の議論に参加していただけるととても助かります。また、実際の「品質評価」の方向性の具体例としては、以前ノート:腸炎ビブリオに試験的に実施した記録を残してますので、そちらもご覧下さい(大体、これで「腸炎ビブリオ1.0-RC1 (release candidate 1)」くらいかな?と思ってます)。また「査読」の必要性については、先の#2つの提案に以前示したもののほか、上のoxhopさんのコメントへの返事にも示しますので、よろしければご検討ください。--Y tambe 2006年6月28日 (水) 11:23 (UTC)
お返事ありがとうございます。上の222.158.91.164です。#2つの提案にある校正依頼について、読んだつもりだったんですが、あまりきちんと読んでなかったようです。すいません。校正依頼の狙いはわかりました。考えには賛成します。
ただ、これもコメント依頼査読依頼の区別がよくわからない人がいるのと同様、整理依頼修正依頼との区別がよくわからないかもしれないですね。説明をちゃんとやる必要があると思います。それと、自信を持って校正依頼に出した人に、「これは校正依頼じゃなくて整理依頼に出せよ」みたいなことがあった場合、いちいちそうさせるのか、ということがあると思います。逆に、校正作業において、そうした「整理」「修正」を行ってはいけないのか、という問題も出てくると思います。「もしもそうなったらどうする?」ということばかり考えてもしょうがないですが、「校正(文字校正)だけ依頼したのに文章が変えられた」などのことがあっても、やはりトラブルのもとになるかもしれません。モト原稿とつき合わせて修正するという意味の「校正」ではないですし、校正者によっても観点やら考え方が違うことは当然考えられます。「校正」の定義は簡単ではないと思います(もちろん完璧を望んでもしょうがないですが)。
で、あるならば、いまの査読依頼に【査読】【検証】【書評】等の小項目が付け加えられたのと同様に、整理依頼の中に、依頼者が主にどういうことを目的として整理を望むのかを表す、【冗長】【文体】【校正】のような小項目を目安としてつけてもらうという方法でも充分に対応できるようにも思えます(どれかに絞れない場合は、具体的に説明してもらうとして)。これであれば、校正者によって内容に多少の手が加わっても文句は言えまい……という「逃げ」にもなりますし、「整理依頼に出せ」のようなこともしなくてすみます。校正者にとっても、「文字や言い回し以外はいじってはいけない」などのことをあまり気にせずに手を入れられると思います(そうはいっても修正依頼ではないのですから、原文を尊重する必要はあると思いますが)。「読んだけど問題ないと思う」とコメントしてもいいわけですし。
あきらかに記事内容が偏向しているとかの場合は「これは修正依頼へ」と誘導してもいいと思いますが、混乱している現状で、新たに「校正依頼」が増えることは、余計に「どこに依頼したらいいのかわかりにくくなる」原因にはならないでしょうか。「説明をよぉ~く読め」といえばその通りなんですが、「修正」「整理」「校正」の語句を見て、その違いが明確にわかる人がどれだけいるか、やや疑問に思えます。慣れればわかるというのも真実ではあると思いますが、慣れないと参加しちゃいけないのかというと、ウィキはそういうプロジェクトではないと思います。たまに「バカな初心者が増えて困る」なんていう常連さんがいますが、初心者がバカなのは当たり前です。そういうプロジェクトに参加しているという自覚のない常連こそバカだと私は思うのですが、これは話がズレますのでどうでもいいことですね。220.145.181.35 2006年6月28日 (水) 20:06 (UTC)
事後報告ですが、修正依頼などと紛らわしいため、最初の文章を「ほぼ完成した項目について、内容の正確性や構成の適切さなどについて批評と査読を依頼する場です。」に変更しました。電気山羊 2006年7月30日 (日) 16:59 (UTC)