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アラー・ウッディーン・ハルジーعلاء الدين خلجی ‘Alā’al-Dīn Khaljī, 1266年もしくは1267年1316年1月2日)は、北インドを支配したデリー・スルタン朝の一つであるハルジー朝の第3代スルターン(2代目とも数えられる)(在位1296年–1316年)。モンゴル帝国によるインド侵入を5度に渡って撃退し、自らを「第二のアレクサンドロス大王(スィカンダル・サーニー)」と称した。南インドに初めてイスラム勢力を拡大し、インド南部におけるイスラム教信仰の基盤を築いた。デリー・スルタン朝を「インド=トルコ人国家」から「インド=ムスリム帝国」へと方向付け、デリー・スルタン朝のインド化を進めた人物と評価されている。

アラー・ウッディーン・ムハンマド・シャーの名でも知られる。

奴隷王朝に加わったテュルク系部族集団ハルジー族の出身で、奴隷王朝を滅ぼしてハルジー朝を開いたジャラールッディーン・ハルジーの甥にあたり、娘婿でもあった。1292年に肥沃な土壌と高級織物の生産地であるデリー東部の都市カラーとその一帯の知事に任ぜられた。彼とジャラールッディーンの関係については、トゥグルク朝に仕官した経験もあるイブン・バットゥータが『大旅行記』で言及している。アラー・ウッディーンとジャラールッディーンの娘の夫婦仲は悪く、そのために義父であるジャラールッディーンとの関係もこじれたものになったと、バットゥータは説明している。彼はジャラールッディーンの寛容な施策に不満を持つ将校たちの支持を得るため、ジャラールッディーンの許可を得て1294年よりイスラム王朝の軍隊として初めてヴィンディヤ山脈を越えてデカン高原に南進し、デカンのヒンドゥー教国ヤーダヴァ朝を攻撃した。

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