D・J・R・ブルックナー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2022年7月6日 (水) 02:10; Juqipedia (会話 | 投稿記録) による版(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

ドナルド・ジェローム・ラファエル・ブルックナー(Donald Jerome Raphael Bruckner、1933年11月26日2013年9月20日)は、そのリベラルな論調からニクソンの政敵マスター・リストに加えられた、アメリカ合衆国コラムニスト評論家ジャーナリスト[1]

政治記者出身であったが、後年には書評、演劇評の担当者として知られた。

経歴[編集]

ブルックナーは、ネブラスカ州オマハに生まれた。クレイトン大学を卒業した後、ローズ奨学制度によりオックスフォード大学マートン・カレッジに留学した[1][2]

ブルックナーは、1960年代に『シカゴ・サンタイムズ』紙の記者となり、さらに『ロサンゼルス・タイムズ』紙のシカゴ支局の主任に転じた[1]。その後、『ロサンゼルス・タイムズ』紙の各地の紙面に配信される政治記事を書く政治記者となった[1]

一時期は、シカゴ大学の広報担当副学長を務めたが[3]、その後1981年から『ニューヨーク・タイムズ』紙の社員となり、2005年にかけて、書評や演劇評論を担当した[1]。ブルックナーは、2013年9月20日マンハッタンにおいて、79歳で死去した[1]

おもな著書[編集]

  • Frederic Goudy (Masters of American Design) - フレデリック・ガウディの伝記
  • Art Against War: Four Hundred Years of Protest in Art
  • Politics and Language: Spanish and English in the United States
  • A Candid Talk with Saul Bellow
  • The Campaign for Chicago: To Create an Inheritance Forever

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f "D. J. R. Bruckner, Columnist and Critic, Dies at 79" by Margalit Fox, The New York Times, September 20, 2013
  2. ^ Levens, R.G.C., ed (1964). Merton College Register 1900-1964. Oxford: Basil Blackwell. p. 464 
  3. ^ Bruckner, D. J. R.”. University of Chicago Library. 2018年10月7日閲覧。

外部リンク[編集]