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  • シベリアのサムネイル
    シベリア(英: Siberia [saɪˈbɪəriə]、露: Сибирь [sʲɪˈbʲirʲ] ( 音声ファイル))、ロシア連邦領内およそウラル山脈分水嶺以東北アジア地域である。漢字表記で西比利亜又は西伯利亜とも書く。かつて日本語でシベリヤという表記も多くみられシベリ名称はシ
    24キロバイト (2,816 語) - 2023年10月16日 (月) 11:59
  • シベリア抑留のサムネイル
    捕虜389万9397人におよび、1949年1月1日段階で56万9115人が死亡し、54万2576人が未帰還まま抑留されている。 これらの捕虜多く内務人民委員部等各省庁に貸し出され、その監督下で使役され。特に独ソ戦で捕虜となったドイツ人死亡率高く、スターリングラード攻防戦での捕虜
    110キロバイト (16,179 語) - 2024年4月23日 (火) 11:33
  • 阿部豊のサムネイル
    阿部豊 (カテゴリ 日本映画監督)
    だったが、同年発生した東宝争議によって映画化頓挫する。これによって阿部東宝に見切りをつけ、新東宝に移籍することとなった。 新東宝では『細雪』、『女といふ城』など女性映画に才能を発揮する一方、戦後史もの『私はシベリヤの捕虜だった
    19キロバイト (2,722 語) - 2024年4月15日 (月) 23:15
  • 北沢彪のサムネイル
    北沢彪 (カテゴリ すべてスタブ記事)
    明日を創る人々(1946年) 或る夜殿様(1946年) 今ひとたび(1947年) 女優(1947年) 銀座踊子(1950年) 夜緋牡丹(1950年) 風にそよぐ葦(1951年) 宝塚夫人(1951年) 桃花咲く下で(1951年) 私はシベリヤの捕虜だった(1952年) 蛇と鳩(1953年) 大阪宿(1954年)…
    12キロバイト (1,459 語) - 2024年4月3日 (水) 23:08
  • 志村敏夫 (カテゴリ 日本映画脚本家)
    『黄金獣』 : 1950年 『黄金バット 摩天楼怪人』 : 新映画 / 東京映画配給、1950年 『月が出』 : 新東宝・昭映プロダクション、1951年 『無宿猫』 : 1951年 『私はシベリヤの捕虜だった』 : シュウタグチプロダクション、1952年 『貞操街』 : えくらん社、1952年 『色ごよみ…
    8キロバイト (875 語) - 2022年7月31日 (日) 12:26
  • 三田隆 (カテゴリ 日本男優)
    私はシベリの捕虜だった』と、マキノ雅弘監督映画『浮雲日記』で主演する。長身で堂々たる体格二枚目俳優として注目され、次いで宝プロダクションが製作した加藤泰監督映画『ひよどり草紙』に星美智子相手役で主演。その甲斐があって、同年に大映東京撮影所へ入社。後に芸名も三田隆と改名し、多く
    8キロバイト (990 語) - 2023年9月17日 (日) 14:39
  • 田口修治 (カテゴリ 日本映画監督)
    田口 修治(ぐち しゅうじ、1905年〈明治38年〉 - 1956年〈昭和31年〉3月)、日本撮影技師、映画監督、映画プロデューサーである。第二次世界大戦後はシュウ・タグチを名り、1948年(昭和23年)10月にはシュウ・タグチ・プロダクション株式会社を設立、ドキュメンタリー映画を中心に自主…
    14キロバイト (1,424 語) - 2024年4月7日 (日) 16:32
  • 明石潮のサムネイル
    明石潮 (カテゴリ 日本男優)
    慰問ため上海などへ巡業した。 1952年(昭和27年)、阿部豊・志村敏夫監督私はシベリの捕虜だった』で映画出演を再開し、後に東映と契約を結んで多数作品で脇役を演じ。また、木下恵介監督『二十四瞳』など松竹作品にも出演。川頭義郎監督『涙』では若尾文子
    26キロバイト (3,814 語) - 2024年1月5日 (金) 12:01
  • 守山映画劇場 (カテゴリ 1929年竣工日本建築物)
    翌1948年11月(1949年とも)、田口修治シュウ・タグチ・プロダクションが製作、東宝が配給した劇映画『私はシベリヤの捕虜だった』が公開されが1952年4月3日である。同作原作が宇野『ダモイ・トウキヨウ』であることから、同館で試写を行い、そのときに宇野舞台挨拶を行ったという旨
    22キロバイト (2,684 語) - 2023年11月18日 (土) 17:32
  • 帯一郎 (カテゴリ 日本男優)
    特筆以外、全て製作・配給「東宝」である。 女三四郎(1950年、渡辺邦男監督) 歌姫都へ行く(1950年、佐藤武監督) その人言えない(1951年、杉江敏男監督) 哀愁夜(1951年、杉江敏男監督) 私はシベリヤの捕虜だった(1952年、阿部豊監督) 四十八人目男(1952年、佐伯清監督) - 吉良侍…
    7キロバイト (614 語) - 2023年11月21日 (火) 02:11
  • 土屋嘉男 (カテゴリ 肺癌で亡くなった人物)
    4389500376 [脚注使い方] ^ a b 現在同県甲州市。 ^ 1969年公開、稲垣浩監督作品『風林火山』では、その土屋昌次当人を演じている。 ^ 現在東京藝術大学。 ^ 公開順では、1951年『死断崖』、『私はシベリヤの捕虜だった』が先行している。土屋自身
    60キロバイト (8,284 語) - 2024年1月14日 (日) 08:05
  • グザヴィエ・ド・メーストルのサムネイル
    グザヴィエ・ド・メーストル (カテゴリ スモレンスキー・ルーテル派墓地に埋葬され人物)
    野村寿恵子『シベリ少女』、大倉書店、1916年、全国書誌番号:43022514 上田駿一郞『シベリヤの少女』、白水社、1933年 水谷謙三「シベリ少女」、『シベリ少女 他一篇』、長崎書店、1940年、全国書誌番号:47036382 中村義男「シベリヤの乙女」、『コーカサスの捕虜
    17キロバイト (2,312 語) - 2022年10月18日 (火) 13:36
  • 石原吉郎 (カテゴリ シベリア抑留経験者)
    ったシベリア抑留者が根拠なく警戒され一例として、ジャーナリスト斎藤貴男父親を挙げておく。斎藤父親はシベリヤ抑留経験者で、復員後くず鉄屋を生業としていが、死ぬまで公安に監視されてい ^ 『ロシナンテ』活動がどのようなものだったかについて、石原が短文「「ロシナンテ」こと」(『断念海から』所収)の中で簡単に触れている。…
    75キロバイト (12,359 語) - 2023年12月4日 (月) 14:16
  • 浅野辰雄 (カテゴリ 日本映画脚本家)
    花嫁性典』(監督仲木繁夫)脚本を若井基成と共同で、『わたし凡てを』(監督市川崑)脚本を梅田晴夫・市川崑と共同でそれぞれ執筆し、東宝が配給して、それぞれ同年7月14日、1954年(昭和29年)5月12日に公開されている。『アナタハン』監督補佐であったシュウ・タグチ、『私はシベリヤの捕虜だった
    28キロバイト (3,351 語) - 2024年4月7日 (日) 15:27
  • 北海道を舞台とした作品一覧 (カテゴリ 独自研究除去が必要な記述ある記事/2020年7月-12月)
    續・馬喰一代(1952年) 私はシベリヤの捕虜だった(1952年) 曠野誓い(1952年) 夏子冒険(1953年) 女ひとり大地を行く(1953年) 蟹工船(1953年) 君(1953年) わが恋リラ木蔭に(1953年) 地果てまで(1953年) 北海虎(1953年) 無法者(1953年)…
    37キロバイト (4,681 語) - 2024年4月17日 (水) 08:04
  • 杉原千畝のサムネイル
    杉原千畝 (東洋シンドラーからのリダイレクト)
    ったことで知られる。その避難民多くがユダヤ人系であった。閉鎖後、チェコプラハへ移動し、1941年から終戦までルーマニアブカレスト公使館で勤務した。大戦終結時1945年からブカレスト郊外の捕虜収容所に入れられ、1947年4月に日本へ帰国した 「東洋シンドラー」などとも呼ばれる。…
    290キロバイト (44,544 語) - 2024年4月5日 (金) 05:50
  • 山本幡男のサムネイル
    山本幡男 (カテゴリ 喉頭癌で亡くなった人物)
    『収容所から来た遺書』のテレビドラマ化。終戦48年特別企画作品。主演(山本幡男役)寺尾聰、共演(シベリヤ抑留者役)石橋蓮司、河原崎長一郎、ガッツ石松ら。冬季シベリ場面北海道で撮影され、俘虜衣服ロシアで入手した当時ものが使用され。実際遺書暗記担当者1人も、ドラマ製作に助言で協力した。1993年(平成5年…
    103キロバイト (13,447 語) - 2024年3月16日 (土) 02:17
  • 榎本武揚のサムネイル
    榎本武揚 (カテゴリ 捕虜となった人物)
    榎本武揚シベリア日記(講談社), p.228 ^ 加茂儀一 1988, pp. 334–335. ^ 榎本武揚シベリア日記(講談社), p.330 ^ 榎本武揚『シベリヤ日記』南満洲鉄道総裁室弘報課、1934年。NDLJP:1874789。  ^ 加茂儀一 1988, pp. 491–492. ^ 井黒弥太郎 1968…
    95キロバイト (13,820 語) - 2024年4月24日 (水) 04:18
  • 後藤田正晴 (カテゴリ 捕虜となった人物)
    名刺があるから、誰でも相手してくれることを忘れていかん。錯覚していかんよ」 - 取材に来る記者らに対し。 「自分を含め政治家、いつも(刑務所)塀上を歩いている。常に十分に注意しないと内側に落ちる」 「(シベリヤ抑留について)六十万人もの大軍がそのまま形で捕虜にされて、極寒
    156キロバイト (24,388 語) - 2024年2月20日 (火) 21:33
  • 窪田空穂 (カテゴリ 履歴書登場人物)
    終戦後には、ソビエト連邦シベリア抑留で亡くなった次男・茂二郎を悼んで詠ん捕虜死」という長歌がある(『冬木原』収録)。「シベリヤの涯(て)なき曠野(こうや)イルクーツクチェレンホーボバイカル湖越えたるあなた」と詠いだし「むごきかなあはれむごきかなかゆき吾子」と締めくくった、史上最大長歌でもある。…
    35キロバイト (3,814 語) - 2024年4月15日 (月) 23:43
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