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このウィキでページ「押しかけ聟」は見つかりませんでした。以下の検索結果も参照してください。
- で太刀を手に立ち上がったが政子がこれを押さえ付け、10日に修禅寺に押し込めてしまった。さらに11月3日になって一幡は義時の手勢に捕らえられ、義時の郎党の藤馬という者に刺し殺されて埋められたという。 『愚管抄』は比企能員の縁者(能員の聟・糟屋有季の遺族)から伝えられた情報を元に記されている。『吾妻鏡』…22キロバイト (4,278 語) - 2024年5月1日 (水) 04:28
- 聟」と財布を渡し、亡君への焼香をさせるのだった。平右衛門は「二番の焼香早の勘平重氏」と高らかに、しかし涙声で呼ばわって焼香する。浪士たちも勘平の身の上に、胸も張り裂ける思いである。 そのとき俄に人馬の声と陣太鼓、そしてときの声が上がる。さてはまだいる師直の家来たちが攻めかけ…198キロバイト (34,171 語) - 2024年3月26日 (火) 00:38
- り、甲高い雄鶏の鳴き声は夜明けを告げるものとして各文化で神聖視された。 日本の古典芸能では、「鶏猫」(けいみょう)という雑物狂言や、「鶏聟」(にわとりむこ)という聟物狂言がある。 鶏を扱った謡曲としては、例えば「初雪」がある。昔、ある姫君が白い鶏の雛を貰って大切に育て、朝夕、一緒に遊んでいた。ところ…112キロバイト (15,639 語) - 2024年4月22日 (月) 13:23
- - 犬上朝臣同祖。日本武尊の後。 和泉国皇別 和気公 - 犬上朝臣同祖。倭建尊の後。 和泉国皇別 県主 - 和気公同祖。日本武尊の後。 和泉国皇別 聟本 - 倭建尊三世孫の大荒田命の後。 なお、『日本書紀』景行天皇40年条では日本武尊のため「武部(たけるべ)」を定めると見え、これを基に建部(武部)…81キロバイト (13,535 語) - 2024年4月26日 (金) 08:42
- 郎頼時。次被獻御鎧以下。新冠又賜御引出物。御釼者里見冠者義成傳之云々。次三獻。垸飯。其後盃酒數巡。殆及歌舞云々。次召三浦介義澄於座右。以此冠者。可爲聟之旨被仰含。孫女之中撰好婦。可隨仰之由申之云々。 (※終盤では頼朝が三浦義澄に孫娘の一人を泰時に嫁がせるよう命じているが、これはのちに三浦義村の娘・…55キロバイト (9,589 語) - 2024年4月14日 (日) 11:08
- 2009年6月15日発売、ISBN 978-4-7577-4958-0 単行本発売前に発売された書籍。詳細は該当項目を参照。 森薫『乙嫁語り[乙嫁と聟花]編』KADOKAWA〈ムック〉2017年1月1日発売、ISBN 978-4-04-734476-1 セブンイレブンのセブンネットでのみ発売された。…58キロバイト (9,720 語) - 2024年1月25日 (木) 04:27
- す。金次という奴は伊豆の島へやられたんですが、その後なんでも赦(しゃ)に逢って無事に帰って来たという噂を聞きました。 菊村の店では番頭の清次郎を娘の聟にして、相変らず商売をしていましたが、いくら老舗(しにせ)でも一旦ケチが付くとどうもいけないものと見えて、それから後は商売も思わしくないようで、江戸
- みたまへども、恆は歎かすことも無かりしに、今夜(こよひ)大きなる歎一つしたまひつるは、けだしいかなる由かあらむ」とまをしき。かれ、その父の大神、その聟の夫に問ひて曰はく、「今旦(けさ)我が女の語るを聞けば、三年坐しませども、恆は歎かすことも無かりしに、今夜大きなる歎したまひつとまをす。けだし故あり