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  • 玄奘のサムネイル
    の開祖となった。また、インドへの旅を地誌『大唐西域記』として著した。 陳褘は、隋朝の仁寿2年(602年)、洛陽にほど近い洛州緱氏県(現在の河南省洛陽市偃師区緱氏鎮)で陳慧(または陳恵)の四男として生まれた。母の宋氏は洛州長吏を務めた宋欽の娘である。字は玄奘で、戒名はこれを諱とした。生年は、上記の6…
    20キロバイト (3,097 語) - 2023年12月7日 (木) 12:12
  • ウォン・カーウァイのサムネイル
    プアン/友だちと呼ばせて วันสุดท้าย..ก่อนบายเธอ 2016年 大唐玄奘 大唐玄奘 - 第29回東京国際映画祭特別上映作品として上映。Amazon Prime Videoなどでは『三蔵法師・玄奘の旅路』の題で配信。 1999年 ブエノスアイレス 摂氏零度 攝氏零度 春光再現 (ドキュメンタリー映画)…
    10キロバイト (892 語) - 2024年3月25日 (月) 07:37
  • 大唐西域記のサムネイル
    大唐西域記』(だいとう さいいきき)とは、唐僧玄奘がインド周辺の見聞を口述し、弟子の弁機がそれを筆録したもの。646年(貞観20年)の成立。全12巻。 求法の旅を終えて帰国した玄奘は持ち帰った経巻の訳業を皇帝の太宗に願い出た。許可に当たって西域の詳細な報告書を提出するよう命じられ、編纂された報告書が本書である。…
    11キロバイト (1,498 語) - 2024年2月3日 (土) 03:51
  • Goyal, A History of Indian Buddhism, 1998, p. 487. 『大唐西域記』水谷真成『大唐西域記』中国古典文学大系22、1971年、263頁; 長澤和俊『玄奘三蔵』1998年、230頁 ^ Buddhism’s Disappearance from India…
    50キロバイト (7,280 語) - 2023年9月18日 (月) 16:07
  • 大慈恩寺のサムネイル
    大慈恩寺 (カテゴリ 玄奘)
    大慈恩寺(だいじおんじ)は、中国陝西省の古都、西安市南東郊外約4kmにある仏教寺院であり、三蔵法師玄奘ゆかりの寺として知られている。2011年認定の中国の5A級観光地「大雁塔・大唐芙蓉園景区」の一部である。 その故地は、唐朝の都、長安城においては、東南部、左街の晋昌坊に当たる場所であった。…
    6キロバイト (648 語) - 2023年2月3日 (金) 05:46
  • 三蔵法師 (カテゴリ 玄奘)
    」と呼ばれるが、なかでも最も有名な三蔵法師は唐代の僧・玄奘三蔵である。 玄奘は仏教の聖典原典を求めてインドを周遊し『般若心経』(ただし異説もある)を中国にもたらした。更にその業績は『大唐西域記』や『大慈恩寺三蔵法師伝』としてまとめられ、後に『大唐三蔵取経詩話』でフィクションを含有するようになり、最終…
    15キロバイト (2,749 語) - 2023年7月29日 (土) 19:55
  • 世親のサムネイル
    は七高僧の第二祖とされ「天親菩薩」と尊称される。また、インド論理学そのものの発展にも寄与した。 世親の伝記については、真諦訳『婆薮槃豆法師伝』、玄奘大唐西域記』やその弟子・基の伝える伝承、ターラナータ『仏教史』中の伝記などがある。 『婆薮槃豆法師伝』によれば、世親は仏滅後900年にプルシャプラ(…
    18キロバイト (2,628 語) - 2024年1月9日 (火) 04:26
  • (南宋・志磐) 高僧伝 (南朝梁・慧皎) 比丘尼伝 続高僧伝(唐・道宣) 宋高僧伝(北宋・賛寧) 求法高僧伝(唐・義浄) 洛陽伽藍記 (北魏・楊衒之) 大唐西域記(唐・玄奘) 六祖壇経 神会禅話録 船子和尚撥棹歌 (唐・徳誠) 無畏三蔵禅要 禅源諸詮集都序 (唐・圭峰宗密) 宝林伝 (唐・智炬) 祖堂集 (五代・静、筠二禅師)…
    38キロバイト (7,871 語) - 2023年10月7日 (土) 00:50
  • ユダヤ暦 : 629年のカレンダー(ユリウス暦) 2月2日(舒明天皇元年1月4日) - 田村皇子が即位し、舒明天皇となる。 玄奘の天竺(現在のインド)旅行(-645年、「大唐西域記」) 『梁書』の成立 道昭、法相宗の僧(+ 700年) 注釈 出典 [脚注の使い方] ウィキメディア・コモンズには、629年に関連するカテゴリがあります。…
    1キロバイト (135 語) - 2023年9月12日 (火) 16:32
  • 太宗 (唐)のサムネイル
    『梁書』『陳書』『周書』『隋書』の正史を編纂させ、特に『晋書』の王羲之伝では自ら注釈を行った。また645年(貞観19年)には玄奘がインドより仏経典を持ち帰っており、太宗は玄奘を支援して漢訳を行わせている。 これらの充実した政策により、太宗の治世を貞観の治と称し、後世で理想の政治が行われた時代と評価…
    26キロバイト (4,226 語) - 2024年4月13日 (土) 14:06
  • 阿難のサムネイル
    や摩訶迦葉から「なぜ釈迦仏に細かい点を質問しなかったのか?」と責められたという話も伝わっている。 阿育王経巻7、阿育王伝巻4、法顕の仏国記、また玄奘大唐西域記などによると、彼はマガダ国やヴェーサリー国の離車族(リッチャヴィ=ヴァッジ国)族の人々から厚く信頼されていたといい、彼は自分の死後に遺骨が…
    9キロバイト (1,401 語) - 2024年4月19日 (金) 23:20
  • 龍樹以後彌勒、無著に至る問に成れるものと思はれるのである。」 ^ 645年から訳経を開始し、646年に新訳経論5部と『大唐西域記』12巻の経序を太宗に請うたとされる。:吉村誠『玄奘の年次問題について』駒澤大学佛教学部論集 46 183-205, 2015-10 pdf p…
    11キロバイト (2,072 語) - 2024年3月5日 (火) 08:34
  • であった高岳親王が中国から天竺を目指したが、その途中「羅越国」(マレー半島南端付近)で没したとされる。 13世紀初頭の明恵は天竺訪問を強く志し、玄奘の『大唐西域記』をもとに長安から王舎城(ラージギル)までの旅行計画を立てたものの、反対を受けて果たせなかったというエピソードが知られる。仏教発祥の地であ…
    19キロバイト (2,721 語) - 2024年4月18日 (木) 19:59
  • テルメズのサムネイル
    (in June 1914 a temperature of 49.5 C was recorded in Termez." ^ a b 玄奘 著、水谷真成 訳『大唐西域記』 1巻、平凡社東洋文庫、1999年、97頁。  ^ КЛИМАТ ТЕРМЕЗА (ロシア語) ^ sheherazade-voyages…
    11キロバイト (800 語) - 2022年6月27日 (月) 01:05
  • 般若心経のサムネイル
    1992年アメリカのジャン・ナティエ(英語版)(Jan Nattier、当時インディアナ大学准教授)は、玄奘訳『般若心経』の本文が鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜経』と逐語的に一致することなどに基づき、誰かが羅什訳『摩訶般若波羅蜜経』から『般若心経』をまとめ、玄奘が「観自在」や「蘊」など特定の術語だけを修正し、それを更にサンスクリット…
    45キロバイト (6,180 語) - 2023年10月31日 (火) 04:46
  • ヴァルダナ朝のサムネイル
    思想は、むしろハルシャ王によって回復された秩序だった平和のなかにおいてこそ充実していったのであった。 唐の玄奘は、貞観3年(629年)から貞観19年(645年)にかけてヴァルダナ朝を訪れ、『大唐西域記』において、ハルシャ王の政治の有徳さや国家の政教和平、首都カナウジの繁栄ぶり、また、当時のインドの人びとの正直で誇り高い姿を絶賛している。…
    9キロバイト (1,039 語) - 2024年1月15日 (月) 00:46
  • 義浄のサムネイル
    インドのナーランダ僧院で学んだ学生の一人であり、多くの仏典を翻訳して中国に持ち帰った。 斉州山茌県の人である。幼くして出家し、15歳の時(649年(貞観23年))には西域行を志し、法顕や玄奘の行跡を思慕していたという。 671年(咸亨2年)、37歳で番禺県を同志数十名と出発しようとしたが、余人は全て辞退したため、義浄一人、海路でインドへ…
    4キロバイト (471 語) - 2022年7月16日 (土) 03:21
  • 西遊記のサムネイル
    西遊記 (カテゴリ 玄奘)
    唐の時代に中国からインドへ渡り仏教の経典を持ち帰った玄奘三蔵の長年の旅を記した地誌『大唐西域記』を基に、道教、仏教の天界に仙界、神や龍や妖怪や仙人など、虚実が入り乱れる一大白話小説であり、物語の縦軸に玄奘三蔵の波乱の人生を、横軸に無敵の仙猿・孫悟空の活躍を置き、玄奘三蔵一行が天竺を目指し取経を果たすまでを描いている。…
    64キロバイト (10,589 語) - 2024年3月15日 (金) 21:05
  • 『晋書』(四夷伝) 『魏書』(西域伝) 『北史』(西域伝) 『隋書』(西域伝) 『旧唐書』(西戎伝) 『新唐書』(突厥下、西域伝下) 玄奘 著、水谷真成 訳『大唐西域記』平凡社、1999年。ISBN 4582806538。  岩村忍『文明の十字路=中央アジアの歴史』講談社、2007年。ISBN 9784061598034。 …
    16キロバイト (2,672 語) - 2023年9月7日 (木) 15:55
  • ハルシャ・ヴァルダナのサムネイル
    玄奘は5年間、ナーランダ僧院で修学し、ハルシャ王にも進講した。 玄奘の訪印を記した『大唐西域記』によれば、ハルシャ王は1年に一度諸国の学僧を集めて広く議論を興し、5年に一度「無遮大会」とよばれる聖俗貴賤を問わない布施の行事を催すなど、仏教に対する信奉も篤いものであった。法会での玄奘
    10キロバイト (1,454 語) - 2021年4月22日 (木) 13:00
  • 唯識三十頌 作者:世親 訳者:玄奘 姉妹プロジェクト:Wikipediaの記事, Commonsギャラリ, データ項目 世親菩薩造 大唐三蔵法師玄奘奉詔訳 唯識三十頌                  世親菩薩造 稽首唯識性 満分清浄者 我今釈彼説 利楽諸有情 由假説我法 有種種相轉 彼依識所變 此能變唯三
  • 唯 我 独 尊(ゆいがどくそん) 天上天下唯我独尊の省略。 世の中で自分だけが特別にすぐれているとうぬぼれること。ひとりよがり。 三蔵法師として知られる唐僧玄奘が著した『大唐西域記』中の誕生偈と呼ばれる偈文の一節。 唯我論, 独在論, 唯我論, 独知論
  • たいせい)という。 宗教では、仏教と道教が盛んになった。 仏教では、インドの仏典から直接学ぶことが望まれて、玄奘(げんじょう)や義浄(ぎじょう)がインドに留学しインドから仏典を持ち帰った。そして、仏典は漢訳されていった。 仏教のなかから、禅宗や浄土宗などの宗派が出来ていった。
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