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このウィキでページ「ナポリの饗宴」は見つかりませんでした。以下の検索結果も参照してください。
- 第7回カンヌ国際映画祭 (カテゴリ 1954年の映画)グランプリ:『地獄門』(衣笠貞之助) 審査員特別賞:『しのび逢い』(ルネ・クレマン) 国際賞:『Piatka z ulicy Barskiej』(アレクサンデル・フォルド)、『洪水の前』(アンドレ・カイヤット)、『ナポリの饗宴』(エットーレ・ジャンニーニ)、『砂漠は生きている』(ジェームズ・アルガー)、『Velikiy…8キロバイト (178 語) - 2024年2月20日 (火) 16:08
- 19日 妻の勲章 ( 日本) 21日 野性の女 ( アメリカ合衆国) 24日 あばれ纏千両肌 ( 日本) 27日 スタア誕生 ( アメリカ合衆国) 29日 黄金の腕 ( アメリカ合衆国) 1日 ナポリの饗宴 ( イタリア) 13日 弥太郎笠 ( 日本) 15日 藤十郎の恋 ( 日本) 17日 夜の来訪者…11キロバイト (1,442 語) - 2024年2月27日 (火) 12:29
- ジョヴァンニ・ベッリーニ (カテゴリ 15世紀イタリアの画家)の聖マルコの説教』(1504-1507年)、ブレラ美術館 (ミラノ) 『聖母子』(1510年)、ブレラ美術館 (ミラノ) 『神々の饗宴』(1514年)、ナショナル・ギャラリー (ワシントン) 『鏡の前の裸の若い女性』(1515年)、美術史美術館 (ウィーン) 荒野の聖フランチェスコ(英語版)…6キロバイト (442 語) - 2024年4月7日 (日) 00:36
- ウィリアム・ウォルトン (カテゴリ イギリスの映画音楽の作曲家)1983年3月8日)は、イギリスの作曲家。広く知られた作品として『ファサード』、カンタータ『ベルシャザールの饗宴』、ヴィオラ協奏曲、交響曲第1番、戴冠行進曲『王冠』、『宝玉と勺杖』などが挙げられる。ウォルトンは遅筆で完璧主義者あったため、長いキャリアの中で彼が残した作品はそれほど多くない。しかし、人気の…12キロバイト (1,254 語) - 2024年4月5日 (金) 19:28
- オラトリオ (カテゴリ ラテン語からの借用語)元来はローマ・カトリック教会の宗教曲であるが、聖書などから取った台詞を多用し、さまざまな曲をあわせたことによる豊かな描出力が好まれ、18世紀には、聖書物語などすでにオラトリオと似たような宗教曲をもっていたドイツの作曲家たちにも取り上げられるようになった。18世紀のオラトリオ形式は、ナポリ楽派の影響を受け、オペラと同様の…10キロバイト (1,228 語) - 2023年12月25日 (月) 04:58
- エットーレ・ジャンニーニ (カテゴリ ナポリ出身の人物)の助監督を務め、翌1943年には『白い天使』で映画監督としてデビューする。 1954年に開催された第7回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に監督作『ナポリの饗宴』を出品、国際賞を受賞、以降監督作はない。1957年に開催された第22回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門における審査員を務める。…7キロバイト (583 語) - 2022年12月18日 (日) 09:17
- ウンベルト・ジョルダーノ (カテゴリ ナポリ音楽院出身の人物)ミラノ)はイタリアのオペラ作曲家。 南イタリアの町フォッジャ生まれ。父は薬剤師で、家族の反対を押し切って音楽の道を志す。故郷で音楽の基礎教育を受けた後、13歳でナポリ音楽院に学ぶ。在学中実家の経済状態が悪化し、一時退学して地元のオペラ劇場でアルバイトをしながら糊口をしのぐが、学校関係者の…8キロバイト (909 語) - 2024年1月1日 (月) 05:01
- ドメニコ・チマローザ (カテゴリ ナポリ音楽院出身の人物)1749年12月17日、ナポリ近郊アヴェルサ- 1801年1月11日、ヴェネツィア)は、イタリアの作曲家。ローマで成功し、オペラ・ブッファの第一人者となる。後にペテルブルグとウィーンで短期間ながら宮廷楽長に就任。共和制ナポリを支持して死刑判決を受けたため、ヴェネツィアへ政治亡命した後に急死した。 レンガ職人の父と洗濯婦の…8キロバイト (877 語) - 2023年10月22日 (日) 04:03
- ソフィア・ローレン (カテゴリ イタリアの女優)の開会式でオリンピック旗を掲揚する際の旗手を務めた。 SSCナポリの熱心なサポーターである。セリエA昇格が期待される2007年には「ナポリが昇格したらストリップショーを開いてもいい」と発言した。 日本の映画ファンにもローレンは高い人気を誇っている。過去の…24キロバイト (1,485 語) - 2024年5月1日 (水) 09:25
- ドナテッロ (カテゴリ イタリアの彫刻家)(Siena)) の依頼で『ヘロデ王の饗宴』のレリーフ、『信仰』と『希望』の彫刻も制作している。 1430年ごろに、当時の芸術家の重要なパトロンだったフィレンツェの銀行家コジモ・デ・メディチが、自身の邸宅であるメディチ・リッカルディ宮殿 (en:Palazzo Medici Riccardi) の…24キロバイト (3,110 語) - 2023年7月8日 (土) 15:47
- フォルコ・ルリ (カテゴリ イタリアの男優)Carosello napoletano(『ナポリの饗宴』)(1954) Acque amare (1954) it:Non vogliamo morire (1954) en:La peccatrice dell'isola (1954) Fortune carrée(『風雲の鬼将軍 四角い帆』) (1955)…10キロバイト (856 語) - 2024年5月5日 (日) 11:40
- でアルフレッド・ジャリ、そして兵役を終えたばかりのアンドレ・サルモン(フランス語版)らと出会った。この出会いを機に、アポリネールは文学雑誌『イソップの饗宴』を創刊。ジャリ、サルモンのほか、トゥーサン=リュカ、ジョン=アントワーヌ・ノー(フランス語版)、ジャン・ド・グールモン(フランス語版)、ジャン・…91キロバイト (10,649 語) - 2024年4月26日 (金) 13:14
- パーシー・ビッシュ・シェリー (カテゴリ 出典を必要とする記述のある記事/2009年6月)の男の子供を身篭っていた。その20日後の12月30日、シェリーとメアリーはロンドンの教会で結婚する。 1818年、シェリーはメアリーを連れてイタリアに赴き、フィレンツェ、ピサ、ナポリ、ローマなど各地を転々としながらプラトンの『饗宴』を翻訳したり、大作『縛を解かれたプロメテウス』(Prometheus…15キロバイト (2,120 語) - 2022年12月14日 (水) 05:57
- ニッポンシネマコーポレーション (カテゴリ かつて存在した東京都の企業)1954年 - 共同配給BCFC 『マオリ族の怒り』 The Seekers : 1954年 - 共同配給BCFC 『ナポリの饗宴』 Carosello Napoletano : 監督エットーレ・ジャンニーニ、1954年 - 共同配給イタリフィルム 『ローマの女』 La Romana : 1954年 -…25キロバイト (2,517 語) - 2021年10月29日 (金) 17:08
- Andrii)をも制作した。ティツィアーノの3作品のうち『ヴィーナスへの奉献』と『アンドロス島のバッカス祭』はピロストラトスの『エイコネス』を典拠としており、『バッカスとアリアドネ』はカトゥルスの『カルミナ』やオウィディウスの『変身物語』を典拠としている。 本作品の典拠である『エイコネス』は著者が逗留したナポリの…18キロバイト (2,225 語) - 2022年8月21日 (日) 12:29
- イタリフィルム (カテゴリ かつて存在した東京都の企業)共同配給NCC 『夏の嵐』 Senso : 監督ルキノ・ヴィスコンティ、主演アリダ・ヴァリ、1954年 - 共同配給NCC 『ナポリの饗宴』 Carosello Napoletano : 監督エットーレ・ジャンニーニ、主演パオロ・ストッパ、1954年 - 共同配給NCC 『ローマの女』 La Romana :…20キロバイト (2,012 語) - 2023年11月5日 (日) 15:14
- 現在、エステ城ではアルフォンソ・デステの書斎「カメリーノ・ダラバストロ」が再現されており、絵画は下図のように配置されている。このうち右側の壁に掛けられたのは左から順に『アンドロス島のバッカス祭』、ジョヴァンニ・ベリーニ『神々の饗宴』 、『ヴィーナスへの奉献』であり、本作品は壁の…20キロバイト (2,458 語) - 2023年10月4日 (水) 02:01
- 『カナの婚礼』は16世紀のヴェネツィア社会の特徴であった豪華な食事と音楽の饗宴の壮大なスタイルによって、水をワインに変えるイエスの奇跡を表している。俗世界に囲まれた中の聖なる世界で「宴会料理は富、権力、洗練を意味するだけでなく、それらの特性を個々の…29キロバイト (3,806 語) - 2024年5月6日 (月) 14:47
- トマソ・カンパネッラ (カテゴリ プロジェクト・グーテンベルクのリンクがある記事)1589年にナポリに赴き、自然科学者ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタの影響のもとに魔術・錬金術・占星術・天文学・哲学などについて、その地の知識人たちと討論を重ね、1591年にすでに書き上げていた『感覚哲学』を出版する。この出版はドミニコ会全体を震撼させ、宗門裁判所に召喚され、1592年8月28日の…11キロバイト (1,523 語) - 2023年10月9日 (月) 00:41
- 名高いイタリアの民謡である。遠い国にさすらいのイタリア人が、この歌を聞くときっと涙を流すという。 今、わが家の子供らの歌うこの民謡を聞いていると、ふた昔前のイタリアの旅を思い出し、そうしてやはり何かしら淡い客愁のようなものを誘われるのである。 ナポリの港町の夜景が心に浮かぶ。 朧夜を流すギターやサンタ・ルチア