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このウィキでページ「ひばり チエミ いづみの ジャンケン娘」は見つかりませんでした。以下の検索結果も参照してください。
- 『ひばり・チエミ・いづみ 三人よれば』は、1964年5月16日に東宝で上映された日本映画。監督は杉江敏男。併映は宝塚映画作品の『僕はボディガード』(監督:久松静児。主演:渥美清)。 1957年制作の『大当り三色娘』(監督:杉江敏男)以来、7年ぶりに美空ひばりと江利チエミと雪村いづみの三人娘が共演した映画である。…5キロバイト (606 語) - 2024年4月17日 (水) 11:22
- 『ジャンケン娘』(ジャンケンむすめ)は、1955年11月1日に公開された東宝製作の日本映画。 中野実が雑誌『平凡』に連載していた小説の映画化で、美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみの「三人娘」が初めて共演し、その後のアイドル映画にも影響を与えた作品である。三人娘の…8キロバイト (951 語) - 2024年4月20日 (土) 14:14
- の呼び声』、『マンボ・イタリアノ』、『チャチャチャは素晴らしい』などの曲をヒットさせて不動の人気を確立。同年代の人気少女歌手である江利チエミ・美空ひばりと共に「三人娘」の一人として称されるようになる。この3人が主演した1955年(昭和30年)公開の東宝映画『ジャンケン娘』は空前の…44キロバイト (6,196 語) - 2024年5月2日 (木) 21:51
- の高い痩せぎすな少女・いづみが空港で出迎え、その屈託の無い可憐な姿にチエミの心は和み、やがて2人は終生の親友となった。 美空ひばり・雪村いづみとともに「三人娘」と呼ばれ、一世を風靡、『ジャンケン娘』(1955年)などの一連の映画で共演した。その頃からチエミ…53キロバイト (7,683 語) - 2024年5月3日 (金) 12:46
- 1954年、『ひばりのマドロスさん』で第5回NHK紅白歌合戦に初出場した。1955年には江利チエミ、雪村いづみとともに東宝映画『ジャンケン娘』に出演したことを契機に、「三人娘」として人気を博し、親交を深める。但し三人の映画出演のギャラは、はっきり差がつき、ひばり一本750万円、チエミ300万円、いづみ…190キロバイト (24,001 語) - 2024年5月4日 (土) 20:25
- 三人娘(さんにんむすめ)は、女性歌手、美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみ(歌手デビュー順)の3人(3人とも1937年生まれ)を指す総称である。当初から単に「三人娘」と呼ばれており、現在でも単に「三人娘」と呼ばれることが多いが、その後いくつもこの3人にあやかって、「三人娘」が登場したため「初代三人娘…16キロバイト (2,594 語) - 2024年4月11日 (木) 02:50
- 『ロマンス娘』(-むすめ)は、東宝が1956年に製作した日本映画。美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみの三人娘が前作『ジャンケン娘』に続いて共演した。 併映は、東京映画作品『ボロ靴交響楽』(監督:西村元男。主演:宮城まり子)。 94年の年末にフジテレビで深夜で放送された。 ルミ子:美空ひばり エリ子:江利チエミ…3キロバイト (344 語) - 2024年4月17日 (水) 11:26
- 山口百恵が偶然にも同学年だったことから、1973年8月26日の『スタ誕』の100回記念特番の時、チーフ・プロデューサーの池田文雄により“花の中三トリオ”と命名された。これは池田が、人気歌手の美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみによる“三人娘”に着想を得たもの。この命名直後に、『月刊明星』が大々的に中…9キロバイト (1,284 語) - 2022年11月1日 (火) 13:25
- 福島通人 (カテゴリ 美空ひばり)チエミ、雪村いづみと美空ひばりを加え三人娘を結成し、ジャンケン娘として売り出した。歌舞伎座から中村錦之助、大川橋蔵を引き抜き、東映で活躍した。また、新芸プロに入社面接に来た高倉健を東映俳優にしている。その後はクラウンレコードの設立に携わった。…2キロバイト (287 語) - 2022年11月16日 (水) 12:14
- 杉江敏男 (カテゴリ 日本の映画監督)香港クレージー作戦(1963年) ひばり・チエミ・いづみ 三人よれば(1964年) 無責任遊侠伝(1964年) 落語野郎 大脱線(1966年) 落語野郎 大馬鹿時代(1966年) 落語野郎 大爆笑(1967年) 喜劇・駅前桟橋(1969年) フジ三太郎(1968年) 女の絶唱(1969年) 愛染椿(1972年)…6キロバイト (570 語) - 2023年11月24日 (金) 09:58
- 『大当り三色娘』(おおあたりさんしょくむすめ)は、1957年に製作した日本映画。 『ジャンケン娘』『ロマンス娘』に続く、「三人娘」シリーズ第三作。原作は中野実の「三色娘」。東宝初のシネマスコープ作品である。 併映は『琴の爪』(原作:真山青果。監督:堀川弘通)。 根室エリ子:美空ひばり 小林トミ子:江利チエミ 楠ミチオ:雪村いづみ…4キロバイト (361 語) - 2024年4月20日 (土) 14:14
- 完倉泰一 (カテゴリ すべてのスタブ記事)「香港クレージー作戦」(1963年12月22日) 「ひばり・チエミ・いづみ 三人よれば」(1964年5月16日) 「無責任遊侠伝」(1964年7月11日) 「おれについてこい!」(1965年6月20日) 「悪の階段」(1965年10月23日) 「女は幾万ありとても」(1966年2月12日) 「バンコックの夜」(1966年4月3日)…7キロバイト (953 語) - 2023年2月3日 (金) 02:49
- 山田真二 (カテゴリ 日本の男優)の『夏目漱石の三四郎』、美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみの三人娘と共演した『ジャンケン娘』などに出演。また、共演した雪村いづみの勧めで1956年に発売した『哀愁の街に霧が降る』で歌手としても大ヒットを飛ばし、1959年の第10回NHK紅白歌合戦に出場した。…6キロバイト (530 語) - 2022年10月25日 (火) 10:18
- の夫である神津善行が曲を付けた。中村・神津夫妻にとって、本曲が最初にひばりに提供した作品である。 A面『髪』は同年上映の東宝映画「ひばり・チエミ・いづみ 三人よれば」主題歌であり、同作品は三人娘が久々に共演した映画であるが、神津は劇中の音楽も担当している。1989年2月7日に福岡県北九州市の…4キロバイト (375 語) - 2024年2月5日 (月) 14:10
- 『ひばり・チエミのおしどり千両傘』(ひばり・チエミのおしどりせんりょうがさ)は1963年1月9日公開の日本のコメディ映画。東映京都製作、カラー、シネマスコープ、86分。 鶴岡藩25万石の貴美姫は近頃憂鬱である。まもなく松平家85万石の松平相模守との婚礼が控えているのだった。いくらお家の…8キロバイト (1,188 語) - 2023年4月15日 (土) 07:32
- 岩下広一 (カテゴリ 日本の編集技師)狂妻時代 (1952年) サラリーマンの歌 (1953年) 太平洋の鷲 (1953年) 若い瞳 (1954年) 七人の侍 (1954年) 泉へのみち (1955年) 制服の乙女たち (1955年) 夫婦善哉 (1955年) ひばり チエミ いづみの ジャンケン娘 (1955年) 青い果実 (1955年)…7キロバイト (873 語) - 2023年11月20日 (月) 13:03
- の井上忠夫(のちに井上大輔)にアレンジを依頼し、バックもブルー・コメッツが務めることになったという。 また原は本楽曲が完成した際、ひばりと江利チエミのどちらに歌わせるか迷った末にひばりの楽曲にしたことも後に語っている。本楽曲がヒットした後にチエミは「あれは本当は私の曲よ」と嫉妬したという。…9キロバイト (1,123 語) - 2023年7月31日 (月) 05:35
- 株式会社ひばりプロダクションは、東京都目黒区にある芸能事務所、著作権管理会社。略称はひばりプロ。社長は加藤和也。 1958年、歌手で女優の美空ひばりが芸能界の育ての親である福島通人経営の新芸術プロダクション(新芸プロ)から独立し、ひばりプロダクションを設立。社長は美空ひばり…6キロバイト (546 語) - 2024年3月21日 (木) 12:57
- )は、日本の実業家・音楽プロデューサー・芸能プロモーター。美空ひばりの養子(長男)。株式会社ひばりプロダクション、藤和エンタープライズ代表取締役社長。 実父は美空ひばりの実弟のかとう哲也(旧芸名は小野透)で、血縁上はひばりの甥にあたる。7歳の時に伯母・ひばりと養子縁組をした。 ひばりには実子がいなかったので、ひばりに溺愛されて育つ。…9キロバイト (1,009 語) - 2024年3月3日 (日) 12:35
- の歌唱力を示すエピソードとなった。 ひばりが亡くなった1989年末の『第40回NHK紅白歌合戦』では、ひばりと同じく三人娘の一人で大親友だった、雪村いづみがひばりの追悼として本楽曲を歌唱した。また、2007年の『第58回NHK紅白歌合戦』では、ひばりの…11キロバイト (1,477 語) - 2023年11月22日 (水) 07:12