韓元震

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韓元震
各種表記
ハングル 한원진
漢字 韓元震
発音: ハン・ウォンジン
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韓 元震(ハン・ウォンジン、1682年1751年旧暦2月8日)は、李氏朝鮮の文臣、性理学者。字は德昭。号は南塘。諡号は文純。本貫清州韓氏

人物[編集]

李朝初期の領議政韓尚敬朝鮮語版の末裔にあたる。権尚夏宋時烈の嫡伝を得て講学するのを聞くと、1702年に入門し、門下の江門八学士(江門八賢)に李柬らとともに選ばれた。1717年に学行を推挙され、荘陵参奉を除授された。1721年、翊衛司副率を拝命したが、同年の辛丑換局により老論派が失脚し、自ら辞職した。1725年には復権し、経莚官を拝命したが、英祖の老少併用策に異を唱えて少論派を批判した。1741年に司憲府掌令に除目されたが、致仕して学究に専念した。

同門の李柬と人物性偏在問題を議論し、その人物同性論を批判し、人・物の性は偏全の異があるとし、朱熹の理気心性定説に修正を加え、本然の性を二分する「性三層説」を主張した。また宋時烈の「朱書同異考」の編纂を引き継ぎ、1741年に完成させた。

参考文献[編集]

  • 「アジア人物史 第8巻」集英社 2022年