陳伯礼

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陳伯礼(陳伯禮、ちん はくれい、生没年不詳)は、南朝陳皇族。武陵王。文帝陳蒨の十男。は用之。

経歴[編集]

陳蒨と韓脩華のあいだの子として生まれた。天嘉6年(565年)12月、武陵王に封じられた。太建元年(569年)、雲旗将軍・持節・都督呉興諸軍事・呉興郡太守に任じられた。郡においてほしいままに暴行をはたらき、民衆の財貨を侵奪した。太建9年(577年)、官吏の弾劾を受けたが、宣帝は伯礼が年少であることから免罪し、再犯することがあれば必ず法によって処断すると宣告した。太建11年(579年)春、召還の命が下ったが、伯礼は言を左右にして引き延ばし、出立しようとしなかった。この年の10月、御史中丞の徐君敷は伯礼を免官して王邸に蟄居させるよう上奏し、宣帝はこれを認めた。禎明3年(589年)、陳が滅亡すると、伯礼は関中に入った。

大業年間に散騎侍郎・臨洮郡太守となった。

伝記資料[編集]