関立

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関立(せきだち)とは、中世日本の海上におけるに関する用語。

南北朝時代から戦国時代にかけて伊予国を中心とした瀬戸内海沿岸部の古文書にみられる用語であるが、定義については諸説出されている。

  • 河合正治は弓削島岩城島などに守護河野氏よって設置され、室町幕府の命によって海上の警備や遣明船の警備にあたったとする[1]
  • 森本繁は岩城島に室町幕府が設置した海上警備機関で守護の河野氏に管理を任されて実際の運営は来島村上氏が行った[2]
  • 石野弥栄は『日葡辞書』に関所も海賊も同じ"xeqi"(関)と表記されていることから、施設・機関名ではなく関所の設置勢力=瀬戸内海の海賊衆を指すとする。彼らは室町幕府と関係を持ち、遣明船の警備などにもあたったとする[3]

いずれの説にしても豊臣政権によって海上の関所の撤廃や海賊行為の禁止が行われた結果、「関立」の語も姿を消すことになった。

脚注[編集]

  1. ^ 河合正治「内海中央部の海賊衆ー伊予衆の北上と安芸小早川氏勢力の南下ー」広島県教育委員会編『瀬戸内水軍』(1976年)ほか
  2. ^ 森本繁「海賊衆村上氏系譜考」『地方史研究』36巻1号(1986年)
  3. ^ 石野弥栄「河野氏の守護支配と伊予海賊衆」(『愛媛県歴史文化博物館研究紀要』1号、1996年)/改題所収:「河野氏の守護支配と瀬戸内の海上勢力」石野『中世河野氏権力の形成と展開』(戎光祥出版、2015年))