酒井治彦

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酒井 治彦(さかい はるひこ、1917年 - 1944年2月[1]) は、日本の元アマチュア野球選手。佐賀県出身。

来歴・人物[編集]

佐賀中学(現・佐賀県立佐賀西高等学校)を経て、1936年早稲田大学に入学[1]東京六大学リーグ戦でも投手として出場した。しかし早大卒業後応召され、1944年2月南方諸島(正確な死没地、没月日は不明)で戦死した[1]。享年26。

東京ドーム内の野球殿堂博物館にある戦没野球人モニュメントに、同郷で、高校・大学の先輩である鶴崎俊篤と共に、彼の名前が刻まれている[2]

脚注[編集]