鄭楷

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鄭楷(チン・カイ、Trịnh Khải、1763年 - 1786年)は、ベトナム黎朝の権臣、東京鄭氏の12代目当主。原名は鄭棕

靖都王鄭森と正妃楊氏玉歓の間に生まれ、世子に立てられた。しかし、晚年の鄭森は愛妾・鄧氏恵の讒言を信じ、鄭楷を世子位から廃して庶人に落とし、鄧氏恵の子鄭檊を冊立した。

1782年9月、鄭森は死去し、鄭檊が嗣位した。11月、阮朋三府兵を率いて、摂政の大臣黄廷宝を殺害し、鄭楷を擁立した(三府軍の乱)。黎朝により端南王を封ぜらた。1786年西山朝阮恵は鄭氏内部の不和に乗ずる形で北伐した。鄭楷は敗北して捕虜となって、昇龍(現ハノイ)へ連行された。その途中、自刃した。

参考文献[編集]

先代:
鄭檊
ベトナムの副王
黎朝東京鄭氏の当主)
1782年 - 1786年
次代:
鄭槰