訟師

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訟師(しょうし)[1]とは、前近代中国において、民の訴訟を支援し、訴状の代筆などを請け負った人々。江戸時代日本公事師[2]、現代の弁護士中国語では律師)に近い[2][3]訟棍嘩徒などともいう[1][2]

概要[編集]

訟師は科挙に挫折した知識人層が多かった[4]法廷弁論はせず[2][3]識字能力が低い庶民の訴状の代筆や、相手方から入手した示談金などで生計を立てた[5]。勝訴のために事実を脚色・捏造する場合もあった[6][7]抗租運動における図頼地主への反抗運動)の支援もした[4]。体制側からは争いを助長するトラブルメーカーと見なされ[5]、たびたび摘発・処罰の対象となった[2][7][6]

南宋の『名公書判清明集[1]の『大清律例中国語版[7]檔案官箴書などに[6][5]、訟師にあたる人々への言及がある。古くは西周時代に同様の人々がいたことが『周礼』や金文資料から窺える[2]春秋時代鄧析も同様の活動をしていた[2]

訟師秘本中国語版」と総称されるマニュアル本や、「悪訟師」を主人公にした小説も書かれた[5]

体制側の法律家である幕友とライバル関係にあった[5]。幕友もまた科挙受験生が多く、訟師が幕友に転業した例もあった[5]

清末民初になると、西洋由来の弁護士(律師)に徐々に取って代わられた[2][3]

訟師の実態は曖昧な点が多い。夫馬進の説では、才智をもって民を助ける英雄的存在だった[7]。一方、唐澤靖彦の説では、マニュアル通りに働くだけの代書屋だった[7]寺田浩明の説では、どちらも事実の一端を示しており、前者が上級の訟師で「訟師秘本」の著者、後者が下級の訟師で「訟師秘本」の読者だった[7]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 石岡ほか 2012, p. 95.
  2. ^ a b c d e f g h 姚 1997, p. 412-417.
  3. ^ a b c 夫馬 2020, p. 2.
  4. ^ a b 上田 2019, p. 35ff.
  5. ^ a b c d e f 水越 2023b, p. 162f.
  6. ^ a b c 水越 2023a, p. 68f.
  7. ^ a b c d e f 寺田 2018, p. 150f.

参考文献[編集]

  • 石岡浩・川村康・七野敏光・中村正人『史料からみる中国法史』法律文化社、2012年。ISBN 9784589034427 
  • 上田信『死体は誰のものか 比較文化史の視点から』筑摩書房〈ちくま新書〉、2019年。ISBN 9784480072245 
  • 寺田浩明『中国法制史』東京大学出版会、2018年。ISBN 9784130323871 
  • 姚栄涛 著、池田温 訳「中日弁護士制度の淵源と比較」、池田温劉俊文 編『日中文化交流史叢書 2 法律制度』大修館書店、1997年。ISBN 9784469130423 
  • 夫馬進清末・民国時期の訟師と律師-中国訴訟史上における近代』科学研究費助成事業 研究成果報告書、2020年https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-16K03080/ 
  • 水越知「清代地方档案史料の「虚構」と「事実」: 史料論的考察」『人文論究』第72巻、第4号、関西学院大学人文学会、2023ahttp://hdl.handle.net/10236/00030526 CRID 1050858452421026816
  • 水越知 著「コラム 知識人の多様性――幕友,訟師,胥吏」、中西竜也・増田知之 編『よくわかる中国史』ミネルヴァ書房、2023b。ISBN 9784623091966 

関連文献[編集]