藤原範能

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藤原範能
時代 平安時代後期 - 鎌倉時代初期
生誕 不詳
死没 不詳
別名 教能
官位 従三位大宰大弐
主君 六条天皇高倉天皇安徳天皇後鳥羽天皇
氏族 藤原南家信西(通憲)流
父母 父:藤原脩範、母:平範家の娘
兄弟 範能、範雅、範信、円顕、平忠房
藤原実教の娘、平業房の娘
有能永隆道能通時、範海、快真、修子
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藤原 範能(ふじわら の のりよし)は、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての公卿。名は教能とも表記される[1]藤原南家信西(通憲)流、少納言・藤原通憲(信西)の孫。参議藤原脩範の長男。官位従三位大宰大弐

経歴[編集]

仁安2年(1167年叙爵内舎人尾張守治部大輔左兵衛佐右近衛少将但馬守内蔵頭などを歴任した。建久元年(1190年従三位大宰大弐に叙任される。建久3年(1192年)大宰大弐を辞任し、建久7年(1196年)10月出家したが、その後の消息は不明。

系譜[編集]


脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『玉葉』建久2年11月5日条に藤原有能が「丹二位(丹後局=高階栄子)の孫」と記されている。
  2. ^ 松薗斉は、三条有子が後堀河天皇の中宮に選ばれた背景として、丹後局(高階栄子)の血筋であったために栄子の実娘である覲子内親王(宣陽門院)の支持があったからと推測する[2]

出典[編集]

  1. ^ 平家物語』11
  2. ^ 松薗斉『王朝時代の実像15 中世の王家と宮家』(臨川書店、2023年) ISBN 978-4-653-04715-5 P87-89.

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