蔡道人

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蔡 道人(さい どうじん、生没年不詳)は、末から初にかけての人物。括州楽安県の人。

生涯[編集]

江南は、東晋以来、刑法が寛大であり、厳格に執行されておらず、世族中国語版が寒門庶族の上にあって凌駕していた。隋が陳を平定して以降、婺州汪文進越州高智慧呉州沈玄儈は、反乱を起こし、天子を自称し、百官を設けた。楽安の蔡道人・蔣山李枝饒州呉世華永嘉沈孝徹泉州王国慶杭州楊宝英交州李春らがいずれも大都督を自称すると、隋の文帝(楊堅)は、楊素行軍総管に任じ、軍を率いて討伐させた。汪文進は、蔡道人を司空に任じ、楽安を守らせたが、楊素によって汪文進・蔡道人らは皆平定された。

参考文献[編集]