萩原達也
萩原達也(はぎわら たつや、1977年3月19日 - )は、セントラル・リーグに所属していたプロ野球審判員。審判員袖番号は17[1][2]。
[編集] 来歴・人物
柏陵高校、東京情報大学卒業。2000年末に行なわれた審判員公募に応募し、60名の中から書類審査・実技試験を経て牧田匡平と共に新規採用された。2001年1月にセントラル・リーグ審判部に入局。
入局後は二軍戦の審判を務めていた。2003年には同期入局の牧田匡平とアメリカのハリー・ウェンデルステッド審判学校へ留学する予定だったが、入国の際、就労ビザの未取得を指摘され入国出来ず、日本に強制送還された。そして2005年に就労ビザを取得し留学した。
6年目の2006年5月2日の東京ヤクルトスワローズ対広島東洋カープ戦明治神宮野球場で一塁塁審として一軍デビューを果たす[2]。しかし6回裏、アレックス・ラミレス選手の放った右翼ポール際の際どい打球を一度は本塁打と判定したものの、広島側の「今のはファウルだ」という抗議を受け、判定をファウルに変更。これに対し、ヤクルト側の猛抗議を受けた。最終的な判定はファウルとなった。
同年5月4日の同じカードで三塁塁審を務めていた萩原は7回表の広島の攻撃で無死満塁の場面で、新井貴浩選手の三塁ゴロを岩村明憲選手が本塁へ送球し、本塁フォースアウトが成立したように見えたが、「岩村選手が三塁ベースを踏んでいるので本塁フォースアウトは認められない」と判定(ここではタッチプレーとなる)。これに対し、またもヤクルト側の猛抗議を受けた。結局判定はそのまま広島に得点が入り、ヤクルトはこの試合完封負けを喫した。
これ以外にも同審判員を巡るトラブルが多く、最後の年となった2008年7月22日明治神宮野球場で行われた東京ヤクルト対横浜戦で一塁塁審を務めていたが、8回表二死一塁から一塁線に飛んだ佐伯貴弘選手の打球をフェアと判定して、結果一塁ゴロとなり、佐伯はアウトになった。しかし横浜大矢明彦監督から「ファウルではないのか」との抗議を受け、大矢監督は責任審判だった井野修審判員によって遅延行為を理由に退場を命じられた。
また、イースタン・リーグの試合でも度々トラブルを起こしていた。
2003年5月27日ヤクルト戸田球場で行われたヤクルト対巨人戦8回表当時巨人に在籍していた小田幸平が放ったレフトポール際の打球を本塁打と判定しながら、当時2軍監督を務めていたヤクルト小川淳司監督から抗議を受け他の3人の審判と協議しファウルに判定を変更したことがある。
2008年12月末をもって退職。