花吉洋一

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花吉 洋一(はなよし よういち、1929年 - 2021年7月17日[1])は日本教育者

来歴[編集]

熊本県に生まれる。小学2年生の時に両親を失う[1]

熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校、1947年卒業)を経て、東京高等師範学校(現・筑波大学)を卒業した。

卒業後は熊本県の理科の教員となり、母校である熊本県立玉名高等学校に勤務した。1970年から熊本県教育委員会指導主事、主幹を務めたあと再び教職に戻り、熊本県立南関高等学校(1978年着任)・熊本県立玉名高等学校・熊本県立熊本高等学校で校長を歴任した。熊本県教育委員会に戻って教育次長を務める。最後の教職となったのは1988年に新設された熊本県立東稜高等学校の初代校長で、学校のコンセプト作りからかかわり[1]、校歌の作詞・作曲も手がけている[2]

退職後は日本会議熊本に所属し副会長を務めた。

2021年7月17日、満92歳で死去[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 花吉校長先生を偲んで - 東稜高等学校(学校ブログ、2021年7月21日)2023年8月12日閲覧。
  2. ^ 学校の概要 - 熊本県立東稜高等学校