石井平雄

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石井 平雄(いしい ひらお、1890年5月15日[1] - 没年不詳)は、日本裁判官弁護士

経歴[編集]

白石儀七の四男として大阪府に生まれる[2]。1909年福岡県立中学修猷館[3]を経て、1917年東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。1923年石井家の養子となる[2]

1917年司法官試補となり、大阪地方裁判所和歌山地方裁判所高知地方裁判所、再び大阪地方裁判所の判事を経て、大阪控訴院(現・大阪高等裁判所)判事に就任。その後、1934年12月大阪地方裁判所部長判事、再び大阪控訴院判事を経て、1940年12月京都地方裁判所部長判事となる[2]。退官後に弁護士となった[4]

脚注[編集]

  1. ^ 『帝国法曹大観 改訂第3版』(帝国法曹大観編纂会、1929年)p.661
  2. ^ a b c 『人事興信録第13版』(人事興信所、1941年) イ-135頁
  3. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員7頁
  4. ^ 『人事興信録 第20版 上』(人事興信所、1959年)い93頁