ノート:エホバの証人

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これはこのページの過去の版です。西村崇 (会話 | 投稿記録) による 2022年2月5日 (土) 23:26個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎{{tlf|要ページ番号}} の除去について)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

このページには削除された版があります。削除に関する議論は「Wikipedia:削除依頼/エホバの証人20101114」をご覧ください。


警告:Ttttt1300さんによる荒らし

上記編集者による荒らしが見られています 上記編集者はウィキペディアの方針に従い編集してください Hhaimraotkeoru会話2021年8月5日 (木) 01:56 (UTC)[返信]

Tttt1300さん

あなたは自分の信念あるいは立場に基づいて偏見的見方を広めようとしています 繰り返しますが、記載編集について ウィキペディアは中立的観点を柱としています。非中立的、一方的な意見の記載を避けてくだい。あるいは多面的な見解がある場合、その見解を削除しないでください Hhaimraotkeoru会話2021年8月6日 (金) 03:01 (UTC)[返信]

ウィキペディア管理者へ

上記編集者による以下のウィキペディア方針違反が見られています。

「中立的な観点 (Neutral Point Of View, NPOV) は、ウィキペディアの根本的な方針の一つです。この方針のため、ウィキペディア上のすべての百科事典的内容は中立的な観点に沿って書き記されなければなりません。これは、主題に関して信頼できる情報源によって公表されているすべての重要な観点を各観点の比重に応じて公平に描写し、できる限り編集上の偏向がないようにしなければならないことを意味します。

中立的な観点はウィキペディアの基本原則の一つであり、他のウィキメディア・プロジェクトの基本原理の一つでもあります。また、「検証可能性」および「独自研究は載せない」とともにウィキペディアの内容に関する三大方針としても位置づけられています。ウィキペディアでは、これらの方針を合わせて、記事に書き記すことが許される情報の種類と品質を決定しています」 Hhaimraotkeoru会話2021年8月6日 (金) 23:12 (UTC)[返信]

上記方針の「中立的な観点」及び「信頼できる情報源」に関する違反投稿が見られるため、上記編集者の投稿を削除します Hhaimraotkeoru会話2021年8月6日 (金) 23:14 (UTC)[返信]

はじめまして。一般的に流通している書籍に”「・・・」の記載があった”という事実だけの投稿は中立ではありませんか?削除される所以はないかと。 --Ttttt1300会話2021年8月9日 (月) 22:11 (UTC)[返信]

それでは、あなた様が投稿しようとされている本よりはるかに信頼性のおける専門家による意見を削除されたのはなぜでしょうか

Hhaimraotkeoru会話2021年8月10日 (火) 00:23 (UTC)[返信]

3点ご確認頂けますでしょうか。

「一般的に流通している書籍に”「・・・」の記載があった”という事実だけの投稿は中立ではありませんか?」

という私の質問に対して

「それでは、あなた様が投稿しようとされている本よりはるかに信頼性のおける専門家による意見を削除されたのはなぜでしょうか」

という回答および質問を頂きました。「それでは」ということは

一般的に流通している書籍に”「・・・」の記載があった”という事実だけの投稿は中立と判断頂けたということでしょうか?

であれば、

①下記書籍からの引用部分を復元しますが、よろしいでしょうか?  『カルト宗教信じてました。 「エホバの証人2世」の私が25年間の信仰を捨てた理由』  『エホバの証人 マインドコントロールの実態』  『エホバの証人 カルト集団の実態』  『解毒 エホバの証人の洗脳から脱出したある女性の手記』  『ドアの向こうのカルト ---9歳から35歳まで過ごしたエホバの証人の記録』  『カルト脱出記 エホバの証人元信者が語る25年間の記録』

②「あなた様が投稿しようとされている本よりはるかに信頼性のおける専門家による意見を削除された」とありますが、具体的にどの部分でしょうか?

③「あなた様が投稿しようとされている本よりはるかに信頼性のおける専門家」とおっしゃっていますが、  信頼性のおける、おけないというのはあなた様の主観ではありませんか?であれば中立的観点を欠いていないでしょうか? --Ttttt1300会話2021年8月10日 (火) 23:48 (UTC)[返信]

一般的にその媒体の情報の信頼性は、事典や辞典>専門家による書籍>個人による著書>インターネットなどのブログ となります。

あなた様が削除されたのは、「宗教百科事典」、「新ブリタニカ百科事典」、「アメリカの宗教」です。あなた様が取り上げようとしているのは宗教学専門家による本でしょうか。それとも個人の主張や意見を本にしたものでしょうか Hhaimraotkeoru会話2021年8月11日 (水) 01:59 (UTC)[返信]


①には回答頂けておりませんが、下記書籍からの引用は中立とご理解頂けたと考えていいですか?議論が中立であるか否かから文献の信頼度にすり替わっていますので。

 『カルト宗教信じてました。 「エホバの証人2世」の私が25年間の信仰を捨てた理由』

 『エホバの証人 マインドコントロールの実態』

 『エホバの証人 カルト集団の実態』

 『解毒 エホバの証人の洗脳から脱出したある女性の手記』

 『ドアの向こうのカルト ---9歳から35歳まで過ごしたエホバの証人の記録』

 『カルト脱出記 エホバの証人元信者が語る25年間の記録』

②理解しました。ありがとうございます。

③「一般的にその媒体の情報の信頼性は、事典や辞典>専門家による書籍>個人による著書>インターネットなどのブログ となります。」とのことですが これが一般的かどうか、信頼度についても完全には同意しませんが、前提として一旦はOKとします。

私が②を削除した理由ですが、文献の信頼度とは全く関係ありません。

「マインドコントロール・脱会問題」の項目から、主旨と無関係の文献引用と個人的意見を削除しただけです。すなわち下記の記述です。

″「彼らの信じていることはすべて聖書に基づいている。彼らは聖書の権威を当然のものとみなし,ほとんどすべての信条を聖句を使って証明する。(すなわち,裏づけとなる聖句を引用する)聖書が伝統に完全に取って代わるのである」「このグループは聖書研究から注意をそらしたことがない。その教えは,聖句を参照するための精密なシステムによって裏づけられている」「エホバの証人は,正直で,礼儀正しく,勤勉だという評判を得ている」「エホバの証人は個人の振る舞いにおける高い道徳律を強調する」″

「宗教百科事典」、「新ブリタニカ百科事典」、「アメリカの宗教」からの引用とのことですが、 これらのエホバの証人に関する肯定的な記述と「マインドコントロール・脱会問題」の項目は全く関係ありませんよね。

エホバの証人に対して信頼度の高いと思われる文献でいかに高評価を得ていようと、マインドコントロール疑惑や脱会問題が発生している事実は消えません。

あなた様が参考にされたものみの塔協会の元記事も「エホバの証人はカルト教団ですか」であり、自身がカルトでないというものみの塔協会の主張に用いられたものです。マインドコントロールや脱会問題とは関係なく論点がずれているため削除しました。

また、削除した個人的意見についてですが、下記の部分です。

″一方、精選版日本国語大辞典によると「マインドコントロール」とは、「対象となった人の感情・思想・行動などを本人に気づかれることなく一定の方向に変えること」とあり、エホバの証人になるには、数ヶ月あるいは何年かの聖書レッスンを経て聖書の知識を学ぶ必要があるため、この点でマインドコントロールと言えないとの意見がある。″

辞典の信頼性や中立性は全く関係なく、個人的意見だったので削除しました。(進んで聖書レッスンを受けた結果、本人が気づくことなく感情・思想・行動が良からぬ方向に捻じ曲げられれば、それはマインドコントロールです。これも個人的意見ですが。)--Ttttt1300会話2021年8月12日 (木) 22:20 (UTC)[返信]

貴方様が記載しようとしておられるのは、マインドコントロール・脱会問題についてです。つまりエホバの証人がマインドコントロールをしているという意見を記載しようとしておられます。これはご異存ないでしょうか? それで私はそのような意見に対してマインドコントロールしているとは言えない意見と理由と根拠を記載しました。ウィキペディア方針にある「信頼できる情報源によって公表されているすべての重要な観点を各観点の比重に応じて公平に描写し、できる限り編集上の偏向がないようにしなければならない」の通りでございます Hhaimraotkeoru会話2021年8月13日 (金) 04:24 (UTC)[返信]

伝わりにくかったようで申し訳ございません。私は「マインドコントロール・脱会問題」の項目に何も記載していません。「マインドコントロール・脱会問題」の項目内で、「マインドコントロール・脱会問題」とは直接関係のない記述と個人的意見を削除しただけです。

なかなか回答頂けませんが、下記書籍からの引用は中立とご理解頂けたと考えていいですか?

 『カルト宗教信じてました。 「エホバの証人2世」の私が25年間の信仰を捨てた理由』

 『エホバの証人 マインドコントロールの実態』

 『エホバの証人 カルト集団の実態』

 『解毒 エホバの証人の洗脳から脱出したある女性の手記』

 『ドアの向こうのカルト ---9歳から35歳まで過ごしたエホバの証人の記録』

 『カルト脱出記 エホバの証人元信者が語る25年間の記録』--Ttttt1300会話2021年8月13日 (金) 23:53 (UTC)[返信]

失礼しました。そうですね。もともとあった記載です。

繰り返しになりますが、私が追加記載しようとしたのは、マインドコントロール・脱会問題に関係したものです。それで、もし私の投稿を削除しないなら記載されてください Hhaimraotkeoru会話2021年8月14日 (土) 01:25 (UTC)[返信]

一方、偏向的な記載は削除いたします Hhaimraotkeoru会話2021年8月14日 (土) 01:27 (UTC)[返信]

「私の投稿を削除しないなら記載されてください」という、取引には応じられません。私も偏向的な記載があれば、削除させて頂きます。
あまり伝わっていないようですが、失礼ですが日本語を母国語とされていない方ですか?
大変失礼で申し訳ないのですが、上記の「それで、もし私の投稿を削除しないなら記載されてください」という文に自動翻訳の気配がありましたので。
--Ttttt1300会話2021年8月16日 (月) 23:59 (UTC)[返信]

繰り返しになりますが、 貴方様が復元されたのは、エホバの証人がマインドコントロールをしているという意見です。私が記載したのは、マインドコントロールしているとは言えない意見です。ウィキペディア方針にある「信頼できる情報源によって公表されているすべての重要な観点を各観点の比重に応じて公平に描写し、できる限り編集上の偏向がないようにしなければならない」の通りです。 Hhaimraotkeoru会話2021年8月17日 (火) 00:41 (UTC)[返信]

双方の意見や多面的な意見をできるかぎり記載することがウィキペディアには求められています Hhaimraotkeoru会話2021年8月17日 (火) 00:43 (UTC)[返信]

私が復元したのは、エホバの証人がマインドコントロールをしているという意見ではありません。マインドコントロール・脱会問題に関する書籍が出版されているという事実です。 よって、あなた様の記載された、以下の個人的意見の部分は削除したく存じます。
″一方、精選版日本国語大辞典によると「マインドコントロール」とは、「対象となった人の感情・思想・行動などを本人に気づかれることなく一定の方向に変えること」とあり、エホバの証人になるには、数ヶ月あるいは何年かの聖書レッスンを経て聖書の知識を学ぶ必要があるため、この点でマインドコントロールと言えないとの意見がある。″
精選版日本国語大辞典の記載と信用度に異論はありません。しかし、何度も書きますが、自ら進んで聖書レッスンを受けているという理由だけで、思想が本人に気づかれることなく変えられていない、とはいえませんよね?あなた様の記載された意見が成り立つのであれば、本人を拉致監禁して聖書教育した場合でないとマインドコントロールとは呼べなくなります。
エホバの証人たちは、自ら進んで聖書レッスンを受けた結果、本人たちが気づかぬ間に、本人たちの望まぬ方向に感情・思想・行動が変えられたという意見を私は持っています。
--Ttttt1300会話2021年8月17日 (火) 20:31 (UTC)[返信]

貴方様のおっしゃるとおり普通「マインドコントロール」と聞くと、「気づかぬ間に、本人たちの望まぬ方向に感情・思想・行動が変えられる」ことを意味します。それは監禁されようとされまいと関係ありません。マインドコントロールされた人は自分がなぜこんな思考や行動を持つようになったのかが分かりません。ここまでは同意してくださいますか?

エホバの証人についての専門家の見解を調べると、彼らはきちんと思考を働かせて、科学的証拠と聖書予言を研究し、神の存在と聖書の正しさを納得し、その上で聖書を神の言葉と認めたために、自分で考えて聖書の教えに従おうとしていることがわかります。自分がどうしてこのような考えや行動を取るのか、その理由や根拠もすべて聖書から説明できます。そしてもし仮に(有り得ませんが)神が存在しないことや聖書の正しさを覆す圧倒的な証拠が出されれば、彼らは自分で納得して、自分の考えや行動を変えるでしょう。これはマインドコントロールされている人にはできることではありません。マインドコントロールされている人は、自分で考えて行動しているのではないからです。

精選版日本国語大辞典によると「マインドコントロール」とは、「対象となった人の感情・思想・行動などを本人に気づかれることなく一定の方向に変えること」とあります。 専門家たちは、エホバの証人が気づかないうちにマインドコントロールされているのではなく、聖書を調べ、自分で聖書の正しさを 納得し、その上でを自分で決定して聖書の教えを固守しようとしていることを理解しています。

それで、「マインドコントロール」の正しい意味を記載し、エホバの証人が聖書を研究して納得して聖書に従っているのはマインドコントロールされているとは言えないという意見があることを記載するのは、事実に則っていることなのです



貴方様ではあれば、ご理解いただけると思います。そしてもし貴方様が彼らの聖書レッスンを仮に受けたとすれば、マインドコントロールされるのではなく、ただ聖書についての知識を勉強する、しかも多くのキリスト教徒よりも深く聖書のことを学んでいるだけであることを納得されるでしょう。

だからこそエホバの証人は例えば三位一体、クリスマス、イースターなどが聖書の教えではないこと、それは異教の影響によって背教したキリスト教の教えであることを知っているのです。

貴方様は「クリスチャン」でいらっしゃいますか?もし聖書を信じておられるなら、これらのことについて百科事典などでお調べください。エホバの証人はみなこれらのことを文献から勉強して、納得して、行動しています Hhaimraotkeoru会話2021年8月18日 (水) 05:50 (UTC)[返信]

そういう意見があることは良く分かりました。しかしながら、それはあなた様の個人的意見なのではないですか?
あなたがエホバの証人であるなら、エホバの証人の方の個人的意見をwikipediaの「エホバの証人」項に記載するのは、ふさわしくないのではありませんか? --Ttttt1300会話2021年8月20日 (金) 22:23 (UTC)[返信]

納得していただけて良かったです ありがとうございます Hhaimraotkeoru会話2021年8月21日 (土) 12:36 (UTC)[返信]

個人的意見ではありません。ウィキペディアには多面的かつ双方の意見を記載することがふさわしいため、追加記載しました Hhaimraotkeoru会話2021年8月21日 (土) 12:42 (UTC)[返信]

個人的意見ではないとすると誰の意見でしょうか?以下の部分です。出典を記載すべきですよね。
″一方、精選版日本国語大辞典によると「マインドコントロール」とは、「対象となった人の感情・思想・行動などを本人に気づかれることなく一定の方向に変えること」とあり、エホバの証人になるには、数ヶ月あるいは何年かの聖書レッスンを経て聖書の知識を学ぶ必要があるため、この点でマインドコントロールと言えないとの意見がある″
「エホバの証人になるには・・・」と書かれているので、エホバの証人のなり方を知っているエホバの証人の方の意見でしょうか?であれば、自分自身についての記事を書くのは不適切かと。
--Ttttt1300会話2021年8月21日 (土) 23:54 (UTC)[返信]

ウィキペディアは誰でも編集可能です。私がエホバの証人であろうとなかろうと、辞書には事実を書く必要があります。

貴方様が言われる部分については前回のコメントで回答した通りです

Hhaimraotkeoru会話2021年8月22日 (日) 05:09 (UTC)[返信]

個人的意見でないとは回答頂いておりますが、誰の意見かご回答下さい。
出典を示して頂けない以上、エホバの証人の方の個人的意見であると思わざるを得ません。その場合、マインドコントロール下の人の意見であれば信用のおける意見ではありません。エホバの証人がマインドコントロール被害を受けている可能性があるということは同項目において出典の書籍が示しています。
--Ttttt1300会話2021年8月23日 (月) 20:40 (UTC)[返信]

繰り返しになりますが、記載してある多くの学者や辞典が、その意見を述べております Hhaimraotkeoru会話2021年8月24日 (火) 23:49 (UTC)[返信]

あなたが記載した多くの学者や辞典が述べているのは、エホバの証人は「聖書研究をちゃんとやっている」「正直」「道徳律が高い」ということで、
その結果、「マインドコントロールと言えない」などとはどこにも書かれていません。
ですので、下記の部分は削除します。よろしいですか?
″エホバの証人になるには、数ヶ月あるいは何年かの聖書レッスンを経て聖書の知識を学ぶ必要があるため、この点でマインドコントロールと言えないとの意見がある″
--Ttttt1300会話2021年8月25日 (水) 22:12 (UTC)[返信]

ここまでのやりとりは、マインドコントロールされている、されていないの双方の意見についてでした。 記載理由を十分にお伝えしました。削除はしないでください。 よろしくお願いいたします。 Hhaimraotkeoru会話2021年8月26日 (木) 02:05 (UTC)[返信]


ものみの塔協会がエホバの証人をマインドコントロールしているという意見は記載されていません。そういう疑惑を取り上げた書籍が多く出版されているという
事実
です。それに対してあなたは、誰が言っているのかも分からない、出典も明かせない
至って非中立・一方的な個人的意見
を記載されています。下記の意見が誰のものであるか教えて頂けますか?私個人としてもその出元に非常に興味がありますので。
″エホバの証人になるには、数ヶ月あるいは何年かの聖書レッスンを経て聖書の知識を学ぶ必要があるため、この点でマインドコントロールと言えないとの意見がある″
繰り返しになりそうなので、くどく書きますが
どこの誰が、「エホバの証人はマインドコントロールされていない」と言っているのですか?
「記載してある学者や辞典」という回答は辞めて下さい。固有名詞で回答して下さい。
記載してあるものには「エホバの証人はマインドコントロールされていない」とは書いてありません。 「エホバの証人はマインドコントロールされていない」と言っているのは誰もしくはどの文献ですか?私もこの点にとても関心がありますので是非ご教授下さい。
--Ttttt1300会話2021年8月26日 (木) 23:54 (UTC)[返信]

以前回答した通りです。

以上  Hhaimraotkeoru会話2021年8月27日 (金) 11:01 (UTC)[返信]

以前の回答が回答になっていないので、こうして何度も聞いているのです。
「削除しないでください」というのであれば、お答えください。
どこの誰が
、「エホバの証人はマインドコントロールされていない」と言っているのですか?固有名詞で一言で回答できますよね?
それとも、精選版日本国語大辞典からの引用部分のみ残して、以下の意見部分は出所不明ということで削除してもよろしいでしょうか?
"エホバの証人になるには、数ヶ月あるいは何年かの聖書レッスンを経て聖書の知識を学ぶ必要があるため、この点でマインドコントロールと言えないとの意見がある″ --Ttttt1300会話2021年8月27日 (金) 23:54 (UTC)[返信]


回答無く議論になりませんので、1週間後の9月8日に下記部分を削除します。
"エホバの証人になるには、数ヶ月あるいは何年かの聖書レッスンを経て聖書の知識を学ぶ必要があるため、この点でマインドコントロールと言えないとの意見がある″
「以前に回答している通り」「削除しないでください」の一点張りはおやめ下さい。
固有名詞で回答お願いします。どこの誰が「"エホバの証人になるには、数ヶ月あるいは何年かの聖書レッスンを経て聖書の知識を学ぶ必要があるため、この点でマインドコントロールと言えない」と言っているのですか?この発言の出典には私も非常に興味があります。--Ttttt1300会話2021年8月31日 (火) 23:21 (UTC)[返信]

回答頂けませんので、異論なしと判断し、下記の部分を削除致します。
理由は、出所不明の個人的意見であること。
「エホバの証人になるには、数ヶ月あるいは何年かの聖書レッスンを経て聖書の知識を学ぶ必要があるため、この点でマインドコントロールと言えない」
エホバの証人は数ヶ月あるいは何年かのものみの塔協会の出版物でのレッスンを経て、念入りにマインドコントロールされているんです。これも私の個人的意見ですが。--Ttttt1300会話2021年9月7日 (火) 23:48 (UTC)[返信]

個人的見解を差し戻しました Hhaimraotkeoru会話2021年9月8日 (水) 07:48 (UTC)[返信]

質問にお答えいただけますか?
どこの誰が「"エホバの証人になるには、数ヶ月あるいは何年かの聖書レッスンを経て聖書の知識を学ぶ必要があるため、この点でマインドコントロールと言えない」と言っているのですか?固有名詞ひと言で答えられますよね?
あなたが差し戻した内容こそ百科事典から削除すべき個人的見解です。--Ttttt1300会話2021年9月8日 (水) 22:06 (UTC)[返信]

おそらくまた回答頂けないと思いますので、不本意ですが下記一文を削除するのを諦めます。
"エホバの証人になるには、数ヶ月あるいは何年かの聖書レッスンを経て聖書の知識を学ぶ必要があるため、この点でマインドコントロールと言えないとの意見がある″
「ウィキペディアには多面的かつ双方の意見を記載することがふさわしい」とHhaimraotkeoruさんが以前に仰っていましたので、上記意見の直後に反対意見を記しておきました。--Ttttt1300会話2021年9月9日 (木) 23:36 (UTC)[返信]

Hhaimraotkeoruさんへ。

私の記載を「意図的な偏狭的記載」ということで削除されましたが、あなたが記載されている
「"エホバの証人になるには、数ヶ月あるいは何年かの聖書レッスンを経て聖書の知識を学ぶ必要があるため、この点でマインドコントロールと言えないとの意見がある」も
私から見ると、極端に偏狭的です。一部の国ではカルト指定されている宗教の擁護をしているのですから。
「ウィキペディアには多面的かつ双方の意見を記載することがふさわしいの」ではないのですか? 現状は大手出版社から洗脳疑惑の本が出版されているという事実とカルト擁護の片方の意見しか載っていません。都合が悪くなると質問には答えず、一方的に削除するというあなたの姿勢こそ「荒らし」ではないですか?
--Ttttt1300会話2021年9月11日 (土) 00:30 (UTC)[返信]

{{要ページ番号}} の除去について

Hhaimraotkeoruさんへ。要約欄で申し上げたとおり、ページ番号の不記載が問題であるか否かは、当該資料の総ページ数等(ほかには辞書類であれば明らかにその内容が記されているであろう項目があるか否かなど)により個別に異なり、それぞれ判断するのに時間を要するため、一箇所に{{要ページ番号}}を附けるならほかにも附けるべきとの要求は不適当であると考えます。また、しっかりと文献を確認の上加筆なさっているのであれば、ページ番号の提示は容易であると思われるのですが、ご提示いただく代わりに{{要ページ番号}}を除去される理由をお聞かせ願いたいと存じます(もし、他言語版ウィキペディアからの移入であるのなら、その旨の明記がなければ著作権法違反の虞があります)。--Jutha DDA会話2021年10月9日 (土) 02:44 (UTC) 表現微修正 --2021年10月9日 (土) 02:46 (UTC)[返信]

読ませていただきました 逆になぜ多くの脚注でページ番号まで記載されていないのに、ここだけ記載を求めるでしょうか ちなみに多言語ウィキペディアからの移入ではありませんので Hhaimraotkeoru会話2021年10月9日 (土) 04:50 (UTC)[返信]

返信 (Hhaimraotkeoruさん宛) まず前提として、書籍やページ数の多い論文などを出典とする場合はページ数まで記載しないと十分な検証可能性を満たしたことにならないというのが私の考えです。ですので本記事や琵琶湖縄文時代などの私の執筆箇所には細かくページ番号を附しております。またほかの方の書かれた箇所についても、目についた場合は書誌情報を確認の上適宜{{要ページ番号}}{{full citation needed}}を追加しております。これらは主にその箇所を執筆された方に情報を追加していただけることを期待してのものなので、直前に編集がなされたものへの優先順位が高くなるということの合理性はご理解いただけるのではないかと存じます。また、外国語文献の場合は自身で取り寄せての確認が難しいという事情もあるため、当該箇所を執筆なさった方に情報提供を優先してお願いすることにもなります。このようなテンプレートの貼り付けは、機械的になさる方もいらっしゃいますが、私の場合は自身で問題を解消できないかの検討もある程度併せておこなうため、自ずと時間的リソースに限界もあり、以上のような優先順位をつけた対応となるというのがご回答となります。
質問 また、なぜページ番号をご記載いただけないのかについてご説明いただきますよう、重ねてお願い申し上げます。--Jutha DDA会話2021年10月9日 (土) 05:31 (UTC)[返信]

読ませていただきました 貴方様のお考えはよく分かりした。 そして、貴方様の作成された記事において、また作成された部分において詳しくページ番号まで記載されるのは良いことだと思ってます。


ただ、今「選り抜き記事」の「黄砂」の項目の中にさえ、脚注の文献のページ数まで記載されていないものがあります。なぜ貴方様が作成された記事ではない、作成された部分ではないこの項目のこの部分にのみ「要ページ番号」を追加されるのでしょう。それであれば、他の項目ののすべて脚注において「要ページ番号」を加えていかれるのでしょうか

それはされないと思います ではせめてこの項目のすべての脚注において「要ページ番号」を加えていかれるのでしょうか。そうであれば理解できます

Hhaimraotkeoru会話2021年10月9日 (土) 06:47 (UTC)[返信]

すべての記事の脚注をチェックしていかれるのでしょうか 

という意味です Hhaimraotkeoru会話2021年10月9日 (土) 07:01 (UTC)[返信]

私がどのような優先順位でテンプレートの貼付けをおこなっているのかは既に説明いたしました(同様の仕方でテンプレートの貼付けをおこなっているのはこの記事だけではありません)。その上で、あなたは「すべての記事の脚注をチェック」するなどという、実質的には不可能なことを私に要求することで、論点をずらしていらっしゃるように感じられます。一方で私の「ページ番号を追加してください」という要求は、実際に資料を参照した上で加筆をおこなうという適切な編集を行っていらっしゃるのであれば、きわめて容易にご対応いただけることではないでしょうか。私に質問や要求するだけでなく、私の質問にもご回答になっていただくようお願い申し上げます。--Jutha DDA会話2021年10月9日 (土) 10:35 (UTC)[返信]
どのような優先順位でテンプレートの貼付けをおこなっているのかよくわからない、という点は私も同感です。要ページ番号のテンプレートは、実際に文献を読んでみて、こんなこと一体どこに書かれているのか、というレベルのときにつければよいのではないでしょうか。
例えば2021年10月9日 (土) 02:24時点における版のあたりでは、Julia Mitchell Corbettの"Religion in America"にページ番号がいる・いらないで争われています。しかし、こんな題名の本です。どこかにJWだけを扱う節があるか、「◯◯な宗教」みたいなグループ分けがしてあってどれかにJWが入っている、くらいの状況は、本を開く前から予測できます。開いてみると前者で、見出しにJWの名が入った節に該当の記述はあるわけです。目次を見れば容易に見つけられますし、ページ番号付加の優先順位は高くないと思います。
逆に、要ページ番号のテンプレートを真に受けて、変にページ番号を書かれても困ります。この本は何度も改版されています。最初の方の版はネットでも読めますが、JWの問題の記述は改版の度に大きくページ番号が変わっています。気付かずにページ指定で遠隔複写を頼むと、全然関係ないページを入手することになりかねません。ページ番号が書いてなければ検証する人もそのつもりで対処しますから、まだましです。
要は、こういう場合に記述位置をどう示せば検証したい人の助けになるのか、という観点で議論するならともかく、こんな誰でもどこだかわかるような案件でページを書け、いや書かない、と張り合っていてもしょうがないでしょう。本当にどこに書いてあるんだか見当もつかない記事はいくらでもあるので、こういうのにこそ要ページ番号を貼ってほしい、と見るたびに思います。--西村崇会話2022年2月5日 (土) 23:26 (UTC)[返信]