牛僧孺

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牛僧孺(ぎゅう そうじゅ、779年847年)は、中国9世紀代の政治家である。

生涯[編集]

貞元21年(805年)の進士。戸部侍郎・同中書門下平章事に上った。李逢吉李宗閔らと結んで李徳裕と争い、「牛李の党争」を引き起こした。

会昌2年(842年)、李徳裕の李党が権力を握ると、牛僧孺は循州員外長史に左遷された。同6年(846年)に宣宗が即位すると、李党は排斥され、大中元年(847年)に牛僧孺は朝廷に召還されて太子少師となった。その後、李徳裕は崖州司戸として配所で逝去し、牛李の党争は牛党の勝利に終わった。

なお、牛僧孺は『玄怪録』の撰者とみなされている。