無相 (僧)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
無相
1756年)- 文化8年(1825年
生地 上野国
没地 湯島・根生院
宗旨 真言宗
宗派 豊山派
寺院 根生院
恵隆
テンプレートを表示

無相(むそう、宝暦6年(1756年) - 文化8年11月3日(1825年12月18日))は、江戸時代後期の僧。新義真言宗豊山派における法相教学・華厳教学の学僧であり、連歌をよくした。字は無動。

生涯[編集]

上野国群馬郡に生まれ、12歳の時に同国護国寺の恵隆について剃髪し、瑜伽行などに励んだ。18歳の時から36年間、豊山で修行と学問研究を続けた。

24歳のときには、六合釈を講じて、寛政3年(1791年)から同9年まで法相業を、享和2年(1802年)から文化5年(1808年)まで仏華業を務めた。

文化7年(1810年)春に浦和の玉蔵院に帰り、文政元年(1818年湯島根生院第31代の住職となり、同8年(1825年)11月3日に亡くなった。享年69。

業績[編集]

無相は、連歌を趣味にしていた。それまでも長谷寺の連歌は有名であったが、無相が出てから更に全国に知れわたった。そして彼は連歌集を2部と、連歌について『連歌百談』1巻(豊山全書巻20)を残して、句体・句題・心構えなどを説き、連歌を広めた。

著作[編集]

  • 因明三十三過本作法纂解正誤並図註 1巻
  • 科註因明入正理論 1巻

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 隆慶『豊山伝通記』
  • 櫛田良洪『真言密教成立過程の研究』