烏拉街沿江古城址

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第七批全国重点文物保護単位
登録名称:烏拉街沿江古城址
登録種別:古遺址 (明清期の城址)
登録時期:2013年3月5日公布
登録編号:7-0121-1-121
登録地点:吉林省吉林市龍潭区
吉林省吉林市龍潭区[1]

烏拉街沿江古城址 (ウラガイ・エンゴウ・コジョウシ、 拼音:Wūlājiē yánjiāng gǔchéngzhǐ) は、中華人民共和国国務院が「第七批全国重点文物保護単位」(2013) に登録した古城趾の名称。[2]登録地点は「吉林省吉林市龍潭区」。(1) 富爾哈古城、(2) 大常古城、(3) 三家子古城、の三つの城址で構成される。

富爾哈城[編集]

「烏拉河の戦」(上にヌルハチ、下にブジャンタイ、その間を左右に流れる河がウラ・ビラ=烏拉河)

「富爾哈城」または「伏爾哈城」[3]とも表記される。フルハ (満文:ᡶᡠᠯᡥᠠ, 転写:fulha) は恐らく地名で、[4]満洲語の文献上には「フルハ・イ・ホトン (ᡶᡠᠯᡥᠠᡳ ᡥᠣᡨᠣᠨ, fulhai hoton)」という形で現れる。「イ (ᡳ, i)」は日本語の格助詞「の」に相当するので、厳密には「フルハの城」という意味である。フルハの城は元々代に築かれ、以降、修繕改修して再利用された。清朝の文献上は、1612年の烏拉河の戦と翌1613年の烏拉城の戦に「フルハ (の津/ の城)」の名前が見られる。

2007年5月31日、「富爾哈城址」の名で「第六批吉林省省級文物保護単位」(分類:古遺址)[5]に登録された。[6]管理機関は吉林市文物管理処。城址は現在の吉林市烏拉街鎮から南へ5km、 富爾村の北方、万家村寄りに位置するとされる。「第六批吉林省省級文物保護単位」の説明には、土地は富爾通河と松花 (ウスリー) 江とに挟まれているとあるが、現在地図上で富爾通河が確認できない為、詳細不明。

「第六批吉林省省級文物保護単位」の説明に拠ると、全体に四角形を呈し、門は南向きに一基のみ。城壁は黄土で作った煉瓦を積み重ねて形成され、城廓の外には馬面 (城壁の上に設置された一種の物見櫓) と瓮城建筑、更に水堀の遺構が確認できる。東壁の北段に局部的な破損と、西壁、北壁にそれぞれ樋の開通による穿鑿跡がみられるのを除けば、保存状態は概ね良好である。

大常古城、三家子古城[編集]

「大常古城」には角楼 (隅櫓) が二つ、城門址が三つ現存し、城壁外部に瓮城、城廓外部に水堀の遺構が見られる。所在地は現在の烏拉街満族鎮大常村。

「三家子古城」は、現地では「老城」「小城子」などと呼ばれる。代の城廓建筑を研究するにあたっての重要な現物考古史料である。所在地は現在の烏拉街満族鎮三家子村。

1961年に吉林省の「省級文物保護単位」に登録された。

参照元・脚註[編集]

  1. ^ 白地図専門店」の無料素材を利用して作成。
  2. ^ 1-8批吉林省全国重点文物保护单位名录 (保护范围和控制地带)”. 2023年5月19日閲覧。 “乌拉街沿江古城址 / 第七批 / 古遗址 / 金、明、清 / 吉林市龙潭区 / 保护范围:(1) 富尔哈古城:城墙外延50米以内;(2) 大常古城:城墙外延20米以内;(3) 三家子古城:城墙外延20米以内。建控地带:保护范围外延100米”
  3. ^ “布佔泰”. 清史稿. 223. 未詳. https://zh.wikisource.org/wiki/清史稿/卷223#布佔泰. "丙子,布佔泰以兵三萬越伏爾哈城而軍,太祖猶欲諭之降。" 
  4. ^ 『滿洲實錄』(巻3) に「fulha(富爾哈) gebungge(と名付くる) dogonde(津に) ing(營) iliha(立て)」とある、この「fulha(富爾哈)」は富爾哈城と同じ地域かと思われる。
  5. ^ 吉林省文化厅. “吉林省省级文物保护单位一览表”. 2012年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月12日閲覧。
  6. ^ 吉林省省级文物保护单位一览表”. 2023年5月19日閲覧。 “位于乌拉街公社南5公里万家大队与富尔大队之间,地处前、后富尔通河与松花江的夹角地带,平面呈方形,只有南门,城墙结构为黄土垒砌,城墙外附有马面、瓮城建筑,城外存有护城壕遗迹。该城除东墙北段遭到局部破坏,西墙和北墙因开水渠打开两豁口外,其它部分保存尚好。”

参照文献・史料・ページ[編集]