滝川邦房

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滝川 邦房
時代 江戸時代中期
生誕 元禄年間(1690年頃)
死没 享保13年1月16日1728年2月25日
別名 通称:頼母、半左衛門
戒名 宗慶
墓所 下谷広徳寺塔頭桂徳院
幕府 江戸幕府
主君 徳川家宣家継吉宗
氏族 滝川氏
父母 父:滝川具章
兄弟 利忠、平利稲生正武室、邦房安藤信賁室、具英
滝川利行室、諏訪頼暠
養子:利行
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滝川 邦房(たきがわ くにふさ)は、江戸時代中期の旗本通称は頼母、半左衛門。

生涯[編集]

旗本滝川具章の三男として生まれた。生年は『寛政重修諸家譜』に享年の記載がないため不明であるが、次兄の平利元禄元年(1688年)、四弟の具英が元禄9年(1696年)生まれであるから、元禄年間の初め頃に比定できる。母は某氏[1]

正徳2年(1712年)、父が死去したとき、父の生前の願い出により遺領1500石のうち近江国内300石を分与された[2]

分家であるために入番の機会を得ないまま小普請として過ごし、享保13年(1728年)に40歳ほどで死去した[1]

妻の有無は不詳。娘が2人おり、旗本諏訪頼定の次男・銀蔵を娘婿に迎えて滝川利行と名乗らせ、跡を継がせた。利行はのちに本家1200石を継ぎ、邦房から相続した300石は幕府に収公された[1]

脚注[編集]