源同

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源 同(みなもと の おなじ、生没年不詳)は、平安時代初期から前期にかけての貴族嵯峨源氏大納言源弘の子。官位従五位上刑部大輔

経歴[編集]

嘉承3年(850年仁明天皇崩御後の修六七日御斎会において、刑部少輔・藤原関雄とともに興福寺使を務めた(この時の官位散位従五位下)。

天安2年(858年清和天皇践祚後まもなく侍従任官し、翌貞観元年(859年)従五位上に任ぜられる。その後、宮内少輔に任ぜられるが、貞観3年(861年)に大学頭、宮内少輔、中務少輔と短期間に複数の官職を遷っている。貞観4年(862年刑部大輔に補せられた。

官歴[編集]

六国史』による。

参考文献[編集]