浅井八百里

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浅井 八百里
生誕 1813年10月17日
死没 1849年12月16日
福井藩
父母 浅井政良
権十郎、常次郎
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浅井 八百里(あさい やおり、文化10年9月24日1813年10月17日) - 嘉永2年11月2日1849年12月16日))は、日本江戸時代後期の武士福井藩士)。名は政昭。号は栢庭、秋水軒、清夏堂。字は明卿、士明。通称が八百里[1]。従兄に中根雪江平本平学、息子に権十郎、常次郎がいる[2]。著作に「巡海日記」「清夏集」など[3]

経歴[編集]

文化10年(1813年)9月24日に福井藩士浅井新六政良の子として生まれる[1]

文政13年12月10日(1831年1月23日)、祖父の浅井弁左衛門の隠居により、家督を継ぐ[2]天保9年(1838年)、徳川斉匡の子松平慶永が福井藩第16代藩主となると、藩校正義堂の句読師から側向頭取となり、従兄の中根雪江とともに慶永を補佐する[3]。藩政を牛耳っていた守旧派の家老松平主馬罷免後は、改革派に理解を示す家老岡部左膳や側用人天方孫八秋田八郎兵衛のもとで、中根や鈴木主税石原甚十郎らと藩政改革を実行する[4]。また、藩史「執法全鑑」28巻の編修にも当たった[3]

嘉永2年(1849年)11月2日、志半ばにして病死。享年37。墓所は福井県吉田郡永平寺町天龍寺[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 浅井 八百里 | デジタルアーカイブ福井”. 2021年9月28日閲覧。
  2. ^ a b 『福井藩士履歴』一 あ
  3. ^ a b c 浅井八百里とは - コトバンク”. 2021年9月28日閲覧。
  4. ^ 福井市立郷土歴史博物館 協賛・中根雪江先生百年祭事業会『中根雪江先生』