津秋主

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

津 秋主(つ の あきぬし、生年不詳 - 宝亀4年閏11月15日774年1月1日))は、奈良時代貴族のち官位従四位下造西大寺次官勲等は勲六等。

経歴[編集]

右兵衛府少直を経て、聖武朝末の天平20年(748年従五位下に叙せられる。天平宝字2年(758年)8月の淳仁天皇即位後まもなく、秋主ら一族34人が以下を言上し姓から姓に改姓する。同年11月には内位の従五位下に叙せられた。

  • 船氏葛井氏津氏は同一の祖先であるところ三氏に分かれた。その内二氏は連姓を与えられているが、秋主らのみ未だ改姓の恩恵に浴していない。そこで史の字を改めたい。

天平宝字7年(763年尾張介に任ぜられるが、翌天平宝字8年(764年)9月に発生した藤原仲麻呂の乱では孝謙上皇側に付いたらしく、同月中に従五位上次いで正五位下と二階昇進し、10月には尾張守に昇格した。天平神護元年(765年)乱での功労により勲六等の叙勲を受け、天平神護2年(766年従四位下に至った。

光仁朝宝亀4年(773年)5月造西大寺次官に任ぜられるが、同年閏11月15日卒去。最終官位は造西大寺次官従四位下。

官歴[編集]

続日本紀』による。

脚注[編集]

  1. ^ 『大日本古文書』2巻425頁
  2. ^ 『大日本古文書』5巻705頁

参考文献[編集]