沈玄儈

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沈 玄儈(しん げんかい、生没年不詳)は、末から初にかけての人物。呉州の人。

生涯[編集]

江南は、東晋以来、刑法が寛大であり、厳格に執行されておらず、世族中国語版が寒門庶族の上にあって凌駕していた。隋が陳を平定して以降、尚書右僕射蘇威が『五教』を撰じ、江南の農民が老若男女を問わずこれを読むと、官民を問わず不平不満を抱くようになった。婺州汪文進越州高智慧・呉州の沈玄儈は、反乱を起こし、天子を自称し、百官を設けた。楽安蔡道人蔣山李枝饒州呉世華永嘉沈孝徹泉州王国慶杭州楊宝英交州李春らがいずれも大都督を自称すると、隋の文帝(楊堅)は、楊素行軍総管に任じ、軍を率いて討伐させた。楊素は、水軍を率いて楊子津から江南に進攻し、京口において、朱莫問を撃破した。後に晋陵顧世興無錫葉略を平定した。沈玄儈の兵は敗走し、楊素によって追撃されて捕縛された。

参考文献[編集]