江川英吉

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江川英吉
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 天文15年(1546年
死没 寛永2年7月17日1625年8月19日
別名 孫太郎、太郎左衛門、肥前、善祐(号)
戒名 日運
主君 北条氏康氏政氏直徳川家康
氏族 清和源氏頼親流宇野氏族江川氏
父母 江川英元
英長、源四郎、江川吉久室、徳川家康侍女
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江川 英吉(えがわ ひでよし)は、戦国時代から安土桃山時代武将

略歴[編集]

江川氏は鎌倉時代より続く伊豆韮山の在地武士で、戦国時代からは代々後北条氏に仕えた。また北条時頼に韮山で作った酒を献じて賞され、江川酒と言われたその酒は諸国で代々名酒といわれた。

天正18年(1590年小田原征伐に際して英吉は北条氏規に従って韮山城に籠もり、江川曲輪を守備した。攻撃を仕掛けてきた徳川家康勢の小笠原丹波親子を、自ら槍を振う江川の陣頭指揮により討ち取ったとされる。一方で子の英長が徳川陣にいたため、開城交渉の一端を江川親子が担った。

小田原落城後、徳川家康から朝比奈泰勝が使者として派遣された。「江川のことは先例通り」として本領を安堵され、以後は家康に仕える。文禄元年(1593年肥前名護屋城出張に従うが、その際に酒を献じて賞された。

寛永2年(1625年7月17日、80歳で死去した。

参考文献[編集]