永井素岳

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永井 素岳(ながい そがく、嘉永5年(1852年[1] - 大正4年(1915年5月14日)は日本明治時代から大正時代にかけての書家作詞家劇評家

略歴[編集]

嘉永5年(1852年)に江戸の銀座の料理屋、玉の井の長男に生まれる。松花堂流や勘亭流の書をよくし、歌舞伎長唄に詳しかった。明治維新の後は家督を弟に譲って各地を放浪しながら、清元『青海波』や長唄『多摩川』などの作詞を手がけている。また音楽学校の邦楽調査委員を務めた。

作品[編集]

  • 『図案服紗合』 久保田米僊、素岳編 大倉書店刊 1894年
  • 「都の花」 墨絵

脚注[編集]

  1. ^ 深川霊巌寺の墓碑によれば嘉永2年2月11日(1849年)生

参考文献[編集]