水野貞

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水野 貞 (みずの てい、(嘉永2年(1849年) - 昭和2年(1927年)2月20日))は幕末から昭和初期にかけての女性教育者梶原平馬の後妻。梶原貞とも。

生涯[編集]

江戸能楽師である水野謙吉の娘として生まれ、明治8年(1875年)より、東京の桜川女学校(後の港区立御成門小学校)にて勤務。明治10年(1877年)頃より平馬と関わりを持ち、翌年には平馬とともに北海道函館に移住し、長女を産む。

明治14年(1881年)には、遊女の職業訓練施設である女紅場で教鞭をとる。その後根室に移住し、花咲尋常高等小学校でも教鞭をとる。後に私立根室女子小学校を創設。明治32年(1899年)に花咲小学校と弥生小学校に分かれるが、明治35年に再び合流して根室市立北斗小学校となった。

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