橘秘樹

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橘 秘樹(たちばな の なみき、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族中納言橘岑継の孫。上総介橘茂生の子。官位従五位下大和権守

経歴[編集]

醍醐朝阿波守但馬介朱雀朝尾張守、また時期は不明だが大和権守を務めるなど、長く地方官を歴任した。

延喜14年(914年)の三善清行の意見封事のなかで、「阿波守秘樹は、所部を粛清し、その貢を底し慎む。勤王の誠、当時に第一なり」と評された人物で、いわば藤原時平執政期の良吏を代表する官吏であった[1]。誣告にて失脚したが、その冤罪が晴れた後、告訴した者は逃亡して姿を隠したけれども、秘樹はその政治を行うことが出来なく廃人となってしまったという[2]

官歴[編集]

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 雄山閣 1998, p. 338.
  2. ^ 教育社 1978, p. 70.
  3. ^ 『意見十二箇条』
  4. ^ 『類聚符宣抄』8
  5. ^ 『貞信公記』
  6. ^ a b 「橘氏系図」(『続群書類従』巻第164所収)
  7. ^ 『朝日日本歴史人物事典』
  8. ^ 『尊卑分脈』

参考文献[編集]

  • 『古代王権と恩赦』雄山閣、1998年
  • 『受領』教育社、1978年
  • 宮崎康充編『国司補任 第三』続群書類従完成会、1990年