楢崎景好

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楢崎景好
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 不詳
死没 寛永12年8月26日1635年10月7日
改名 楢崎少輔三郎→高須少輔三郎→楢崎景好
別名 通称:少輔三郎、太郎右衛門尉、太郎兵衛尉
官位 筑後守
主君 毛利輝元秀就
長州藩
氏族 湯原氏庶流楢崎氏高須氏→楢崎氏
父母 父:楢崎豊景
兄弟 信景景政景好、男子、景忠
有地隆言室、木梨隆盛室、芥川元正室、末国元光室、小倉元悦
元好元景就豊元重
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楢崎 景好(ならさき かげよし)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将毛利氏の家臣。父は楢崎豊景。兄に楢崎信景楢崎景政。弟に楢崎景忠

生涯[編集]

備後国芦田郡久佐[1]朝山二子城(楢崎城)を本拠とした国人である楢崎豊景の三男として生まれ、豊景から所領を分知される。

はじめは高須氏の養子となって「高須少輔三郎」と名乗り、天正16年(1588年4月13日毛利輝元から「太郎右衛門尉」の官途名を与えられた。その後、時期は不明だが、苗字を楢崎へと復している。

寛永12年(1635年8月26日に死去。長男の元好楢崎元兼の後を継いでいたため、次男の元景が景好の後を継いだ。

脚注[編集]

  1. ^ 現在の広島県府中市久佐町。

参考文献[編集]

  • 萩藩閥閲録』巻66「楢崎太郎兵衛」、巻129「楢崎吉右衛門」