梁田正勝

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梁田正勝
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 不明
死没 承応元年11月9日1652年12月9日
別名 半兵衛、九郎左衛門
戒名 簗田院性山樹見
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家康秀忠家光
氏族 尾張簗田氏
父母 簗田出羽守
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梁田 正勝(やなだ まさかつ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての旗本

略歴[編集]

桶狭間の戦いで著名な簗田政綱の系譜の出身である。父の名は簗田出羽守だが、これが政綱を指すのか、その子広正を指すのかは不明。なお広正の子長教天正10年(1582年)に戦没している。

文禄4年(1595年徳川家康に仕え、以後は3代将軍家光の代まで出仕した。大番を務め400石を領した。寛永10年(1633年)に加増を受け620石となる。承応元年(1652年)に没したが、その時点で嗣子はなかったようで、古屋平右衛門の子が名跡を継いで梁田直次を名乗った。

参考文献[編集]