林弥輔

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林 弥輔(はやし やすけ、1887年明治20年)4月17日[1][2] - 没年不明)は、明治時代後期から昭和時代前期の台湾総督府官僚

経歴・人物[編集]

千葉県海上郡椎柴村字塚本(現・銚子市塚本町)に生まれる[2]1907年(明治40年)6月、正則英語学校を卒業後に渡台し、嘉義庁庶務課勤務を振り出しに、台南州文書課秘書係長、台南州文書課長、台北州文書課長を経て、1936年(昭和11年)10月、地方理事官に進み、台北州新荘郡守に就任した[1]。ついで1939年(昭和14年)1月、台南州北港郡守に転じた[2]

この間、1927年(昭和2年)から1930年(昭和5年)に掛けて樺太庁に出向し、長官官房秘書課および文書課にて勤務した[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b 台湾新民報社 1937, 316頁.
  2. ^ a b c d 太田 1940, 451頁.

参考文献[編集]