松平親清 (長沢松平家)

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松平 親清(まつだいら ちかきよ、生年不詳 - 明応5年7月18日1496年8月26日))は、室町時代武将長沢松平家の3代目当主。通称源七郎上野介備中守

略歴[編集]

松平親益の嫡男として三河国に生まれる。初名は近宗明応5年(1496年)7月18日に死去[1]法名 浄恩。

墓所は妙心寺(愛知県岡崎市岩津) [2]。子に松平勝宗がいる。

『寛永諸家系図伝 』には3代親清、4代勝宗の記載が無い [3]文亀元年8月16日、松平庶流家が結束を図るために行った大樹寺16人連判状に名を連ねている[4]

参考文献[編集]

  • 『寛政重修諸家譜第1輯』(国民図書、1922年、204p)
  • 『寛永諸家系図伝 1』(続群書類従完成会、1980年、185p)

脚注[編集]

  1. ^ 国民図書 1922, p. 204.
  2. ^ 長沢松平家”. 2022年9月20日閲覧。
  3. ^ 続群書類従完成会 1980, p. 185.
  4. ^ 大樹寺の連判状”. 2022年9月20日閲覧。