李師師

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李 師師(り しし)は、北宋末期の美妓。徽宗の妃嬪。

略歴[編集]

開封の染匠の王寅の娘。母は難産のため死去し、父も早くに亡くし、養祖母の姓である李姓を称した。開封の名妓として知られ、崔念奴と共に最優秀な女性歌手として評価された。秦観周邦彦らの詩人とことごとく知り合った。その後、趙元奴などと共に徽宗の寵姫となって、多くの財帛を賞賜された。反乱軍の首領の宋江も、徽宗から招安のため李師師に賄賂を贈った。瀛国夫人を授され、才人にいたった[1]

欽宗が皇帝に即位すると、軍費のため李師師の財帛は全て没収された。靖康元年(1126年)、軍が開封を陥落させた際、李師師は混乱により行方不明となった。変装して逃亡したと考えるのが通説であるが、自殺したあるいは出家したとも言われた。

参考文献[編集]

  • 『靖康稗史箋證』
  • 『三朝北盟会編』
  • 宣和遺事
  • 『青泥蓮花記』

小説[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 明妃とも言われたが、可能性は低い(妓女の出身で子を産まなかった側室として、妃の称号は過分である)。