朝山利綱

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朝山利綱
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
主君 尼子経久
氏族 朝山氏
父母 朝山重綱[1]
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朝山 利綱(あさやま としつな)は、戦国時代武将尼子経久の家臣[1]朝山重綱の養子。

経歴[編集]

出雲国八束郡佐太城[1]。もと白川伯王家白川富秀次男とする説もある[2]

大永3年(1523年)6月、出雲大社の会祭礼を尼子経久に報告した[1][3]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 阿部猛西村圭子編『戦国人名事典』新人物往来社、p.35(1990)
  2. ^ 三浦周行著『日本史の研究 第1巻』岩波書店、p.624(1922)
  3. ^ 東京帝国大学文学部史料編纂所編『史料綜覧 巻9』内閣印刷局朝陽会、p.425(1936)