曽根春翠堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

曽根春翠堂(そねしゅんすいどう)は、日本東京神田1902年に創業したカメラメーカーである。

レンズは子会社の東京カメラワークスフランスから輸入しテスターTestar )と称して販売していたが、カール・ツァイスから「テッサーと名称が似ている」との抗議を受け、1927年モデラーModelar )と改称した[1]

カメラ製品一覧[編集]

  • アダムAdam1918年発売) - 手札四裁(4×5cm)判のボックスカメラ。シャッターはなくレンズキャップの着脱により露光する。
  • スイート[2][3](1918年発売) - 手札四裁判。このカメラのヒットより日本では手札四裁判を「スイート判」とも称するようになった[1]
  • スピード・レフレックスSpeed Reflex1919年発売) - 栗林写真工業(後のペトリカメラ)が製造したレフレックスカメラ。アトム判、名刺判、手札判がある。ソロントン・ピッカードルビーレフレックスやマリオンのソホ・レフレックスホートンエンサイン・レフレックスに類似したカメラ。
  • トキオスコープTokioscope 、1921年発売) - フランスのジュール・リシャールグリフォスコープGlyphoscope )をまねたステレオカメラ[2][3]。手札判を横に切った4×10.5cm判[2]
  • アポロ[2](1923年発売) - 大名刺判高級ハンドカメラ[3]
  • セクレットSecrette1924年[4]発売) - ブロックのフィジオグラフコンテッサ・ネッテルアルグスエルゴをまねたカメラ。レンズは固定焦点単玉[1]。手札四裁判[3]とアトム判[1]がある。
  • アルファ(1920年前後[2]) - 手札四裁判のカメラ[3]
  • モナーク(1920年前後[2]) - ツァイス・イコンゾンネットをまねたアトム判のカメラ[3]
  • コンベックス(1920年前後[2]) - 一眼レフカメラ。写真乾板。イタリア製で当時日本にも輸入されたミュラーレフレックスのコピー品であった[5]

出典[編集]

  1. ^ a b c d 『現代カメラ新書No.3、世界の珍品カメラ』p.42。
  2. ^ a b c d e f g 『クラシックカメラ専科』p.114。
  3. ^ a b c d e f 『現代カメラ新書No.3、世界の珍品カメラ』p.43。
  4. ^ 『クラシックカメラ専科』p.168。
  5. ^ 『クラシックカメラ専科』p.54。

参考文献[編集]

  • 『クラシックカメラ専科』朝日ソノラマ
  • 北野邦雄『現代カメラ新書No.3、世界の珍品カメラ』朝日ソノラマ

外部リンク[編集]