施薬院秀隆

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施薬院 秀隆(やくいん ひでたか/しゅうりゅう、天正元年(1573年) - 天正18年(1590年))は、安土桃山時代の医師。施薬院全宗の子。施薬院使。姓の読みは「せやくいん」とも。妻は永原実賢の娘。

父の全宗と同じく豊臣秀吉に仕え、諱の字を与えられ隆と称するとともに、従五位下、侍従に叙任された。この時、本姓を丹波氏より藤原氏に改めた。天正16年(1588年後陽成天皇聚楽第に行幸の時に騎馬にて供奉し、和歌御会に出席する。その後従四位下、少将に叙任され、父と共に秀吉に重用されるが、外来の流行病に罹り、父に先立ち夭折した。

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