応天門

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応天門(おうてんもん、應天門)

  1. 都城である洛陽の宮殿地区にあった門。
  2. 平城京平安京大内裏にあった門。以下、この項目で詳述。
  3. 平安神宮にある門。

応天門(平安神宮

応天門(おうてんもん、應天門)は、平城京平安京大内裏にあった門で、朝廷内での政務・重要な儀式を行う場であった朝堂院(八省院)の正門であった。朱雀門のすぐ北にあり、朱雀門・会昌門と並ぶ重要な門であった。

日本で隋・唐の律令制が導入されると、隋・唐の都城設計の強い影響を受け、都城を建設した。平安京の扁額空海の筆によるものと言われている。「弘法にも筆の誤り」ということわざは、空海(弘法大師)が応天門の扁額を書いた際に「応」の一番上の点を書き忘れてしまったが、空海は掲げられた額を降ろさずに筆を投げつけて書き直したという伝承に由来するものである。貞観8年(866年)、応天門の変放火されたことで有名であるが、その他にもたびたび失われ、治承元年(1177年)の大火で失われて以降、再建されなくなった。平安神宮の応天門は、平安京の応天門を5/8のサイズで模したものである。

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