彌永恭二郎

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彌永 恭二郎(いやなが きょうじろう、1913年1月20日 - 2002年1月20日)は、日本経営者。日本光学工業(現在のニコン)社長、会長を務めた[1]東京都出身[1]

経歴[編集]

1934年東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に三菱銀行に入行[1]1965年5月に取締役に就任し、1967年11月には常務に就任[1]

1969年5月に日本光学工業副社長に就任し、1973年5月には社長に昇格[1]1979年6月に会長に就任し、1983年6月から相談役を務めた[1]

1983年4月に勲三等旭日中綬章を受章[1]

2002年1月20日心不全のために死去[2]。89歳没。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 人事興信所 1999, い359頁.
  2. ^ 2002年 1月22日 日本経済新聞 朝刊 p35

参考文献[編集]

  • 人事興信所 編『人事興信録 第40版 上』人事興信所、1999年。 
先代
杉豊
日本光学工業社長
1973年 - 1979年
次代
小秋元隆輝

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