建緒組命

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建緒組命
時代 古墳時代古代
生誕 不明
死没 不明
別名 健軍神
官位 初代火国造
主君 崇神天皇
氏族 火君
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建緒組命(たけおぐみのみこと、生没年不詳)は、古墳時代豪族で初代火国造健軍神社では健緒組命、『肥前国風土記』では健緒組火君健緒組(火君健緒純)と表記される。

概要[編集]

肥前国風土記』によると、崇神朝益城郡の朝来名峰に打猿と頸猿という二人の土蜘蛛がおり、百八十余人の軍勢を率いて山頂に隠れ住み、天皇に服従しなかったため、天皇は肥君(火君)等の祖・健緒組に土蜘蛛を征討するように勅命を下したとされる。健緒組は勅命を奉じて悉く土蜘蛛を討った後、国内を観察して日が暮れたため、八代郡の白髪山で止まった。その夜、虚空に火が出現して自然に燃え上がり、徐々に降下して山に火が就いた。それを見て驚いた健緒組は不思議に思い、朝廷に参上して戎征討を復命した際にこの出来事を奏上した。すると、天皇は「奏上したようなことは未だ聞いたことがない。火が下った国だから火国と謂うべきだろう」と勅した。そこで健緒組の勲功を挙げて姓名を与え、火君健緒組といった。そのまま健緒組に国を統治させ、火によって火国といったとされる。

脚注[編集]

関連項目[編集]