平維扶

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平 維扶(たいら の これすけ、-天暦2年2月29日948年4月11日)?)は平安時代官人

解説[編集]

将門記』によれば、天慶2年(939年)10月に陸奥守となり、下向する。途中、下野国府平貞盛と合流し、共に陸奥へ向かった。しかし、貞盛は、平将門に追われたため、途中で雲隠れした[1]

また『日本紀略』によれば、天暦2年2月29日、散位維扶が侍従所で食事中に、脳卒中のような症状を起こし、夕刻、亡くなったという。

脚注[編集]

  1. ^ 『新編弘前市史 通史編1(古代・中世)』pp.144-145