川島村立川島小学校渡分校

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川島村立川島小学校渡分校
国公私立の別 公立学校
設置者 川島村
設立年月日 1883年
閉校年月日 1950年
共学・別学 男女共学
所在地 501-6028
岐阜県各務原市川島渡町630[注釈 1]
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川島村立川島小学校渡分校 (かわしまそんりつ かわしましょうがっこう わたりぶんこう)は、かつて岐阜県羽島郡川島村(現・各務原市)に存在した公立小学校分校

概要[編集]

  • 羽島郡川島村の西部に該当する松原島渡島分区・松原島北山分区(現・各務原市川島渡町・川島北山町)が校区であった。この地区は昭和20年代までは木曽川の分流[注釈 2]が存在したこと、1942年まで現在の川島小学校は川島松倉町にあり、この地区からは遠距離であった。1950年廃校。
  • 跡地は名鉄バス渡橋停留所[注釈 3]のバス転回場として使用されていた。2019年現在、八幡神社の駐車場となっている。また跡地を示す記念碑が設置されている。

沿革[編集]

  • 1873年(明治6年)10月 - 羽栗郡松原島村字渡島[注釈 4]円城寺村字嘉左エ門島[注釈 5]、笠田島村[注釈 6]、小屋場島村[注釈 7]博文義校から離脱し、笠田村に明善舎校が開校。
  • 1883年(明治16年)4月 - 明善舎校が分立。旧・明善舎校は明善北校(笠田島村・円城寺村字小屋場島)となり、松原島村字渡島・円城寺村字嘉左エ門島は松原島村字渡島に明善南校を開校する。
  • 1886年(明治19年)10月 - 渡島簡易科小学校に改称する。
  • 1889年(明治22年)7月 - 羽島郡小網島村、松倉村、河田島村、松原島村、笠田島村が合併し、川島村が発足。
  • 1890年(明治23年)1月 - 円城寺村字嘉左エ門島が川島村へ編入される。
  • 1892年(明治25年)4月 - 渡島尋常小学校に改称する。
  • 1893年(明治26年)3月 - 現在地に新築移転。
  • 1908年(明治41年)9月 - 川島高等学校、博文尋常小学校、松倉尋常小学校、笠田島簡易科小学校、渡島尋常小学校が合併し、川島村立川島尋常高等小学校となる。本校は旧・松倉尋常小学校[注釈 8]におかれた。旧・渡島尋常小学校は渡島分教場となり、大字松原島字渡島・大字松原島字嘉左エ門島の尋常1~4年の児童が通学(5年生は博文分教場(旧・博文尋常小学校)に通学。)。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 川島国民学校渡島分教場に改称する。
  • 1942年(昭和17年)4月 - 本校が羽島郡川島村大字河田島1041-1に新築移転[注釈 9]。渡島分教場は1・2年生のみの通学となる。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 川島村立川島小学校渡分校に改称する。当時の児童数は50名。
  • 1950年(昭和25年)4月 - 廃止。

その他[編集]

  •  跡地には廃校跡の石碑があり、廃校日が昭和35年と記されているが、これは誤りである。

参考文献[編集]

  • 川島町史 通史編 (川島町 1986年) P.881 - 958
  • ふる里かわしま (川島町 1976年) P.158 - 167

脚注[編集]

  1. ^ 現在の住所表記
  2. ^ 南派川から木曽川本流に合流していた分流。現在の川島緑町と川島渡町の境界線が該当。
  3. ^ 光明寺線の支線。東一宮と渡橋を結ぶ路線であった。
  4. ^ 現・各務原市川島渡町。
  5. ^ 現・各務原市川島北山町。
  6. ^ 現・各務原市川島笠田町。
  7. ^ 1875年に円城寺村に編入。現・各務原市川島笠田町の西部。
  8. ^ 現・各務原市川島松倉町1386。
  9. ^ 現在の川島小学校の位置。

関連項目[編集]