山彦河良

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山彦 河良(やまびこ かりょう)は、河東節三味線方の名跡。

初代[編集]

(生年不詳 - 安永8年9月10日1779年10月19日))

初代山彦源四郎の門弟で前名を初代山彦良波。1761年4代目十寸見河東の立三味線で「助六所縁江戸桜」を作曲。

2代目[編集]

(生年不詳 - 天明8年5月20日1788年6月23日))

初代の門弟の2代目良波が、師・河良の没後2代目河良を襲名。2代目山彦源四郎のワキで活躍。

3代目[編集]

(生年不詳 - 文化11年10月29日1814年12月10日))

2代目の門弟の3代目良波が、師・河良の没後3代目河良を襲名。3代目山彦源四郎のワキで活躍。

4代目[編集]

(生年不詳 - 天保4年11月23日1834年1月2日))

3代目の門弟の山彦青巴(または青波)が4代目良波を経て1816年頃に4代目河良を襲名。後に初代山彦紫存、晩年は山彦検校壽喜一を襲名。

5代目[編集]

生没年不詳

4代目の門弟の山彦良鶴が4代目良波を経て、師・河良の没後5代目河良を襲名。9代目河東等の立三味線で活躍。

1859年9月8日に失踪し、その後行方不明。

6代目[編集]

大正4年(1915年1月6日 - 昭和55年(1980年11月29日)本名は飯箸ふみ。

山彦ふさ子(後の3代目宮薗千之)の門弟で山彦ふみ子が1958年に6代目河良を襲名。常磐津節宮薗節荻江節などの素養もあった。

作曲に「山姥」。

関連項目[編集]