山口弘治

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山口 弘治(やまぐち こうじ、1939年3月23日 - )は、京都府生まれの音楽家。

日本を代表するスタジオミュージシャン・ホルン奏者。

3人兄弟の2男(長男は指揮者の宇宿允人・3男はティンパニー奏者)。 京都市立紫野高校から芸大付属高校・東京藝術大学中退。(在学中に日本フィルハーモニー交響楽団に首席奏者になり退学)

日本フィルハーモニー交響楽団に20歳で首席奏者に抜擢され、渡辺暁雄のもと、日フィル黄金時代を築く。 当時提携していた、ボストン交響楽団コンサートマスター、ルイ・グレーラーは最高のホルン奏者と絶賛。 その後、小澤征爾による文化放送・フジテレビを巻き込んだ日本フィル分裂騒動、に巻き込まれ、退団。

以後、日本初のスタジオ専門ホルン奏者となり、数々のレコーディングに参加。 山口がスタジオ専門プレーヤとなったことで、作曲家・編曲家がホルンと言う楽器の可能性を見出した。

CMからアニメ・映画・ジャズ・ポップス・演歌まで多くのジャンルを手がけた。

脚注[編集]