小林重正

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小林重正
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 大永4年(1524年
死没 慶長6年7月24日1601年8月22日
別名 勝之助、平左衛門、政林(号)
戒名 清林、響秋
墓所 覚恩寺(愛知県岡崎市
主君 松平広忠徳川家康
氏族 小林氏(称・桓武平氏
父母 小林重次
兄弟 重正吉勝、春加、甚八郎、作平、理道、植村正勝
重直正次正時正忠正吉重成加藤景親室、神尾江右衛門室
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小林 重正(こばやし しげまさ)は、戦国時代武将徳川氏の家臣。

略歴[編集]

小林氏は代々松平氏徳川氏)に仕える家で、自身も松平広忠徳川家康の2代に仕えた。天文8年(1539年)から出仕し、天文18年(1549年)の第四次安城合戦では城の四方を囲む沼地を民家の素材を用いて突破し、城に乗り入る活躍をみせた。永禄6年(1563年三河一向一揆では上野城攻めで活躍した。その後は使い番となるが、重篤な戦傷が重なったために隠退したという。

参考文献[編集]